イエスが、ご自分の死と復活を沈痛な面持ちで予告された道中、弟子たちは、“誰がいちばん偉いか〟と議論します。荘厳な主の晩餐制定の直後にさえも、「使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった」(ルカ22・24)とあります。 “いちばんになりたい!”、“偉くなりたい!”……。努力し、競い合い、科学を発展させつづけ、〝しあわせになりたい〟と歩んできたわたしたちの前に立ちはだかったのは、存亡をかけて悲鳴を上げる地球の現実です。 文明の構造と人類の幸福を解き明かした話題作『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著)は、わたしたちが進化し続ける人類の未来に関与しうる唯一のこととして、「ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、『私たちは何になりたいのか?』ではなく、『私たちは何を望みたいのか?』かもしれない」と言います。 このメッセージから、イエスが、「何を求めているのか」(ヨハネ1・38)と、最初に出会った二人の弟子にかけた言葉が迫ってきます。わたしたちは、実に、「何になりたいのか」ではなく、「何を求めているのか」の問いの前に立たされています。 そして今、「わたしたちは、後続する世界の人々に、今成長しつつある子どもたちに、どのような世界を残そうとするのでしょうか」(教皇フランシスコ回勅『ラウダート・シ』160参照)と問われています。フランスの経済学者ジャック・アタリが述べるように、わたしたちが何を求めるかによって、将来、「我々の世代を恨みながら、地獄の底を這い回る」ことになりかねない子供たちの前で(『世紀の歴史』序文)、わたしたちの人間としての尊厳こそが問われているのです。 急激で広範に変動していく時代の中で、「イエスによって築かれる友情共同体」(『キリストは生きている』150-157)の将来を担う子供たちと対話しながら、わたしたちは何を求めて生きようとしているのかを意識化し、確かな希望に向かって歩みを進めていくことが喫緊の課題です。 この課題を模索するための一つの手掛かりとして、日本のカトリック教会唯一の“子供と大人が共に楽しく福音を学び分かち合える週刊『こじか』”をお勧めしたいと思います。 (『聖書と典礼』2021年9月19日より) 『聖書と典礼』年間第25日 B年(2021年9月19日)表紙絵解説 |