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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2018年9月9日  年間第23主日 B年 (緑)
栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません(ヤコブ2・1より)

墓の中のキリスト 
イコン  
ドイツ レックリングハウゼン・イコン博物館 16世紀

 イコンにもある「墓の中から姿を現すキリスト」……イエスの復活を主題とするイコンには、一つに「空の墓」、もう一つには「イエスの陰府(よみ)降下」という画題のものが多く見られる。「空の墓」は福音書の叙述に忠実で、墓に詣でる女性たちと天使が対面する光景と、空の墓を描くことで、イエスの姿や遺体の不在という事実を通して復活の出来事が物語られる。「イエスの陰府降下」は、陰府にいる人類、その代表としてのアダムとエバを引き上げに来られたというところで、イエスの死と復活が人類の復活の初穂であり、人類の救いの実現であるという復活信仰の内容を表現することになる。それに対して、復活したイエスが墓の中から直接姿を現すような画のタイプは、西方中世で登場すると思われがちである。
 ところが、東方にもそのようなタイプの作品系統がある。表紙絵のこのイコンは、ギリシアのクレタ島で制作されたもので、そのような作例のうち、キリストを単独で示す、より古い型のものである。後期には、十字架磔刑図のように、マリアと使徒ヨハネを伴うものも現れるという。
 いずれにしても、このイコンのキリストは、西方でよく見られるように、墓から出て、十字架の旗印などをもち、死に打ち勝った復活者としての勝利を強調するという形のものではない。墓から出ているとはいえ、その姿は、なお十字架に磔(はりつけ)にされた姿そのものである。脇腹と手からは血が流れ出ているのが、とくに印象深い。そして、両手が互いに十字に重ねられているところに、イエスの背後にある十字架との対照が鮮やかで、構図を引き締めるものとなっている。
 イエスは目を閉じて、頭を垂れている。死んでいる姿である。しかし、墓の中から立ち上がった姿でもある。死と復活の二重の表現があると見るべきだろう。復活を勝利一点張りには描いていないだけである。ここには過越の神秘に対する感じ方が表れているのかもしれない。
 この図像構成の中に、それでもほのかに復活の表象が見いだされる。濃い茶色とも濃いワイン色ともいえる棺の色彩。この棺も考えてみれば、不思議な描写である。大きさがイエスの身体と不釣り合いで、ましてや下部のほうにイエスの下半身が入っているとも思えない。つまりは単に死を象徴するにすぎない。そして、血の色とも関連づけられるような墓の内面部の濃いワイン色は、ひょっとすると聖体の暗示なのかもしれない。とすれば、それは同時に死を超えた新しい永遠のいのちの暗示でもある。キリストの脇腹から流れ出た血が意識的に描かれているところから、やはり聖体の秘跡への連想が働いているように思われる。棺の前側にはリズミカルな線模様が描かれていることにも注意したい。棺にはありえないような、模様に復活の喜びの控えめな表現があると観るのはうがちすぎだろうか。
 イエスの身体と黒い十字架の関係もやはり磔刑図との違いを感じさせる。磔刑図では、十字架が大きく、それにイエスの苦しむ姿や死んだ姿が付属しているように見えるが、ここでは、すでに十字架がイエスの身体と光輪によって、背後へ押しやられている。三本の釘も、もうイエスを磔にするという役を終えた様として描かれている。その色の漆黒も、すでに存在意義を失っていることを示すものなのではないか。
 十字架の垂直軸の上には、巻物があり、そこに書かれているのは「誉れの王」という言葉だそうである。その両側には、IC XC(イエス・キリストの略文字表記)とある。この場合は、復活した主イエス・キリストという意味合いが前面に出ていると考えよいだろう。赤い文字による強調、両側にいる、イエスの姿に驚きと賛美を感じているような天使たちの姿も、明らかに復活の反響なのではないだろうか。
 表紙の文字には聖書朗読とのつながりでは、第2朗読のヤコブ書2・1にある「栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません」を掲げたが、福音朗読箇所(マルコ7・31−37)、第1朗読のイザヤ書35・4−7aが示す、さまざまな不自由を背負った人たちの中に来られた救い主というテーマに重ね合わせて観賞することもできる。

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