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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2019年3月10日  四旬節第1主日 C年 (紫)
イエスは、……四十日間、悪魔から誘惑を受けられた (ルカ4・1-2より)
 
ケルンで作られた朗読福音書 
挿絵
ブリュッセル王立図書館 13世紀

 イエスが四十日間、悪魔から誘惑を受けたことを極めて具象的に描く絵。13世紀半ばに作られた、ケルンの大聖マルティヌス教会、当時、ベネディクト会教会で作られた朗読福音書の挿絵である。10-11世紀の写本画と比べて、かなり踏み込んだ想像が加えられ始めていることが感じられる。
 なによりも悪魔の姿。おそらくその後、民話や童話などを通じてなじみ深くなるイメージがここにある。人と動物が混じったグロテスクな姿、尻尾、足についた翼、長い耳が目立ち、なによりもその濃茶色が邪悪そのもの。よくもここまで気持ち悪く描けるとさえ思えるほどだが、他方でアニメのキャラクターのようにも見えてくる。キリストの姿とそこまでの対比のもとになったのも、きょうの福音のテーマである、三つの誘惑との対決だったに違いない。
 絵はかなり縦長で、そこに上、右、左下と三つの区分けがあり、各部分にイエスと悪魔の姿がある。福音朗読箇所であるルカ4章1-13節の内容との対照を確認してみよう(必要に応じてマタイ4・1-11も参照する)。
 順番としては、本文に出てくる誘惑が、画面では下・右・上という順番に配置されている。左下が、第1の「石にパンになるように命じたらどうだ」の誘惑(ルカ4・3-4)。右は「すべての国の権力と繁栄を見せられた」という第2の誘惑(イエスの前に宝物が描かれることで表現)。そして、上が第3の誘惑で、イエスをエルサレムの神殿の端に立たせたというところにあたる。面白いのは、ここは立たせたという場面を忠実に描くのではなく、エルサレムの神殿をあたかも自らの玉座のようにして、その上に権威ある主として座し、悪魔に対して毅然と立ち向かっている。イエスの答えを考慮しての表現と思われる。
 三つの誘惑を下から上への悪魔の動き、そして、三度描かれる主イエスの姿の少しずつの違いによって、アニメのように、リズムが感じられる。イエスの姿勢の三つの様態も変化があり見飽きない。そして、どれも、悪魔に向けて差し出される右手が、神の全能を示すしぐさとなっている。答えとの対応をみると、下の第1の誘惑では、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」(ルカ4・4。マタイでは、ここに『神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』という引用が加わる。=マタイ4・4)。そして右の第2の誘惑では「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」(ルカ4・8)、上の第3の誘惑では、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」(ルカ4・12)が答えである。
 本文の中では、律法の書に「書いてある」ということで、その掟の絶対性が強調されているが、その意味合いが、絵の中では、主としての尊厳・威厳をもって描かれているイエスの姿に体現されているともいえる。ここにいるイエス自身が、まさしく、人がそれによって生きるところの神のことば、人が礼拝し、仕えるべき主、決して、人が試みてはならない、主である。
福音書本文では、ことばの奥で意味されるところの神が、絵では、イエスの姿を通して具象化、造形化されているともいえる。ことばと絵の表現特性の違いが、聖書の内容、ひいてはイエスのことばの内容をも、味わい深く浮かび上がらせている。絵と本文を照らし合わせることで、我々は、おのずと黙想のうちに導かれていくだろう。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために  

「ベネディクトは、『Ora et Labora(オラ・エト・ラボーラ)=祈れ、働け』という規則を決めた。それまでのように托鉢によらず、自分の生活を支えるために労働するようになり、『働く8時間、祈る8時間、休む8時間』という8・8・8の時間割を決めた。これらの修道院はすべて観想修道院である。現在のような活動修道会が生まれたのは中世になってからである。」
ミシェル・クリスチャン 著『キリスト教の2000年――初代教会から第二バチカン公会議まで』「第二章 2世紀以降の教会」本文から



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