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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2019年10月20日  年間第29主日 C年 (緑)
人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか (ルカ18・8より)

荘厳のキリスト  
祭壇前飾り(部分)
ドイツ シュヴェヴィッシュ・ハル近郊グロース・コンブルク教会  1130年頃

 祭壇前の部分に飾られている「荘厳のキリスト」の浮彫である。福音朗読箇所ルカ18章1-8節の末尾の文言「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」(8節)にちなんでいる。そこでは、さりげなくキリストの再臨が予告されている。そして、たえず神の御前にあることを意識し、信頼して「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」(ルカ18・1)と諭す教えは、だんだんと年間の終わりの主日を通して、強調されていく終末についての教え、キリストの来臨に向けての教えにつながり、やがて待降節第1主日の「目覚めていなさい」の教えにつながっていく。そのようなテーマ展開に備えて、ここで「荘厳のキリスト」鑑賞をしておくことは有意義だろう。
 中世初期からロマネスク時代の12世紀頃には、聖書写本画や聖堂の扉の浮き彫りや聖堂内陣の天井モザイクなど、多様な場に全能の主キリストの像が描かれていく。それらに、さまざまな描き方のものがあることは、『聖書と典礼』の表紙で既にご覧になっているだろう。キリストは玉座に座している場合もあるが、ここでは立っている。来臨の動的なイメージが示される。左手には神のことばを意味する書物があり、右手は、神の右に座す方としての権威をもって祝福を与えるしぐさである。頭の後ろの光輪が神なる主としての威光を示し、キリストの表情も威厳に満ちている。どれも「荘厳のキリスト」の基本要素である。イエスの全身を囲む光背がここでは、きれいにアーモンド型をしているところも、一つの典型的な作品といえるだろう。そのアーモンド枠の内側に文字が刻まれているが、全体が見えにくく判読できない。
 荘厳のキリスト像に不可欠の要素がもう一つその四隅に見られる。4福音書のシンボルである。この浮き彫りでは、右上に鷲=ヨハネの象徴、左上に人=マタイの象徴、左下にライオン=マルコの象徴、右下に牛=ルカの象徴がある。これらはどれも翼をもっている。このような象徴は、エゼキエル書1章に登場する四つの生き物、それを踏まえた黙示録4章6-8節の四つの生き物に基づいており、黙示録では、さらにイザヤ6章3節を踏まえて、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方」(黙示録4・8)と、絶えず神を賛美している。この賛美のことばから、荘厳のキリストの像が我々のミサと直結していることもわかってくる。「聖なるかな」をもって始まる「感謝の賛歌」から奉献文全体を通して十字架で死に、復活したキリストの姿を思い起こさせつつ、最後は「キリストによってキリストとともにキリストのうちに……」と、キリストと御父である神への永遠の賛美で大団円に至るからである。
 同時に、荘厳のキリストの図は、上述の4つのシンボルによって、ミサの福音朗読にも光を注いでくれるだろう。4つの福音書による証言をもって、賛美されている主イエス・キリストの来臨がこのような形で描かれることで、救いの歴史の完成という目標に明確なイメージが与えられる。このことを意識することによって、人々は、イエスが教えるような祈りを呼びかけられる。「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」(ルカ18・8)は、実は、反語的な祈りと信仰生活への励ましである。
 この日の福音におけるたとえ話の主人公は「神を畏れず人を人とも思わない裁判官」(ルカ18・2)である。全体が逆説的な教え方になっていて、絶えず祈ることを通して神を畏れ、人を人と思う生き方をしなさいということが実際には教えられている。そのような人の祈りは必ずや神が聞き入れて対応すること、「神は速やかに裁いてくださる」(ルカ18・8)方であると、語りかけられている。この話を聞く人は、自分が果たしてどのように生きているか、祈っているか自問自答するよう導かれるが、それでも、根本には、神があわれみ深い方であることへの信頼感が養われるのである。
 第2朗読の二テモテ書の中で、「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ」(二テモテ4・1)語っている、パウロの心にも、このような荘厳のキリスト像を通して近づくことができる。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

神の裁き
 イエスはしばしば「神は裁かれる」と教えました。しかもこの裁きとは、隣人に対する愛の実行や相互のゆるし合い、恵まれないきょうだいへの援助をどのようにしてきたかを問うものです。人々は、イエスが手近な例を引いて神の裁きを説明するのを聞きました。
オリエンス宗教研究所 編『キリスト教入門―生きていくために』「第4講 イエスは父である神を示す」本文より

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