2019年12月25日 主の降誕(夜半のミサ) (白) |
今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった (福音朗読主題句 ルカ2・11より) 主の降誕 イタリアで作られた朗読福音書挿絵 マドリード国立図書館 10世紀 10世紀の朗読福音書挿絵による降誕図である。10世紀から11世紀にかけての西方の聖書写本画における降誕図の定型要素が豊かに盛り込まれている。幼子イエス、ヨセフ、マリア、天使たち、幼子を覗き込む牛とろば、ベツレヘムにちなんで描かれている城壁に囲まれた町。降誕の出来事は、不思議な空間構成で描かれる。イエスの寝床を中心とする地上の部分と、それを見下ろす四位の天使たちのいる天上の部分。建物の中に広がるこの光景は、降誕の出来事の意味を物語っている。 寝床のイエスに注目しよう。幼子というよりも、かなり成長した少年として描かれる。初期のキリスト教美術では、布にくるまれた幼子として描かれ、イコンでも一貫して、また中世後期以降の西方の絵においても同じく、聖母に抱かれる幼子として、イエスがイメージされるのが通例である。このような少年のイエスを降誕図に見ることには一見、違和感もあるだろう。しかしこれは10世紀から11世紀前半の写本画によく見られるもので、それは幼子がただの赤ん坊ではなく、神の子であるという意味を表現しようとする工夫だったとも考えられる。 マリアの描き方も独特である。本来、産後の疲労を感じさせるかのように寝床に横たわる姿勢で描かれることが多かったが、ここでは、寝床に横たわるというよりも長椅子に座しているかのように、縦型で描かれている。その結果、イエスを中心に、(向かって)右側のマリアと左側のヨセフが、両脇から似たようなしぐさで、イエスを指し示す構図になっている。これには意図が感じられる。マリアの右手は、救い主としてのイエスを示し、ヨセフは両手を上げてイエスに向かう。ヨセフの姿勢には、すでに礼拝の意味合いも感じられる。 イエスは、すでに衣をまとっている。緑色である。天使たちにも配色されているこの緑に意味を読み取るとすれば、それは生命の色。ここでは神のいのちを意味しているのだろう。それが人となって今地上に生まれているのである。降誕図として有名な要素、牛とろばがイエスを覗き込んでいる。これは、イザヤ1章3節の「牛は飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らず、わたしの民は見分けない」という文言が出発点になっている。本来、これはイスラエルの民に対する叱責、回心の呼びかけを含んでいるメッセージである。そこから救い主を知る者の代表として牛とろばが降誕図に描かれることになった。やがて、牛がユダヤ人を、ろばが異邦人を意味するとの解釈も加わるが、いずれにしても、すべての人の救い主であるイエスを示す表象として定着した。マリアとヨセフ、そして、牛とろばで示される万人が、救い主イエスへの信仰を示している。そのことは、同時にすべての人に向けての宣教のメッセージでもある。 その意味はイエスの下の部分の描写にも示される。そこでは、二位の天使が真下の暗い部分に描かれている羊飼いたちに救い主の誕生を告げている(きょうの福音朗読箇所ルカ2章1-14節中の8、9節参照)。それとともに、ここの部分のあまりの暗さは、第1朗読のイザヤ書の冒頭「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた(イザヤ9・1)をも連想させる。まさにこの地上の闇にイエスの誕生は光をもたらした。それは「すべての人々に救いをもたらす神の恵み」の現れにほかならない(第2朗読テトス2・11参照)。このことに対応して、イエスの周囲は、天上の天使たちの空間と同じように金色、神の栄光の色で満たされている。すべての人のための救いの訪れを喜び賛美する心がこの画面にあふれている。上に記されているラテン語の文字部分はルカ2章11-14節の本文で、その末尾をなす天使たちの賛美が、やはりこの絵のメッセージの要約となっている。 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(14節)。 |