本文へスキップ
 
WWW を検索 本サイト内 の検索

聖書と典礼

表紙絵解説表紙絵解説一覧へ

『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2020年2月26日  灰の水曜日 (紫)  
隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる (マタイ6・4より)

キリスト 
内陣モザイク(部分) 
ローマ サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂 一二二〇年頃


 サン・ パオロ・ フオーリ・ レ・ ムーラ大聖堂とは、ローマでできた大聖堂(バシリカ)の初期の代表例の一つである。直訳すると「(ローマの) 市壁の外の聖パウロ聖堂」である。聖パウロの墓と伝えられる場所に最初にコンスタンティヌス大帝によって 324年、小規模の聖堂が立てられていただけだった。それが教皇ダマスス1世(在位366 -384 年)の頃にパウロが「異教徒の教師」として聖ペトロと並んで重要な聖人として大変重んじられるようになった。すると、皇帝テオドシウス1世がこれを大幅に増築し、その後、教皇レオ1世(在位440 -461年)は旧約・新約の聖書の場面の壁画化を推進したという。その後、損傷と修復を繰り返したが、表紙のモザイクは13世紀初めに教皇ホノリウス3世(在位1216-1227 年)の命によってできたものである。ちなみに、キリストの右足の下に描かれている小さな人物は、ホノリウス3世である。
 さて、作品を仰いでみよう。玉座のキリストが中央に描かれており、ここでは、文字しか見えないがその両側には聖ペトロ(向かって右)と聖パウロ(左)が描かれている。ペトロとパウロの跡に建設されたローマ教会の由来を図像化するものである。キリストは、まっすぐに前を向き、右手は祝福のしぐさをし、左手は神のことばの象徴として本を抱えている。開かれている部分に記されている文字はマタイ25章34節のことば。新共同訳では「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい」にあたる。ラテン語ではこの部分は、“Venite benedicti patris mei percipite regnum quod vobis paratum est ab origine mundi. ”となるが、 quod vobis paratum est は q.v.pと、ab origine mundiは a o mと略されている。新共同訳では冒頭が「さあ」と訳されているが、ラテン語では「来なさい」となる。このマタイ25章31-46節は最後の審判において、神に従う人々とそうでない人の行く末が分けられるという予告である。
 このメッセージを携えた玉座のキリストは審判者のキリストといってもよいが、なによりも神に祝福された人々が神の国に入ることを認め、実現する救い主そのものである。神はすべての人を「天地創造の前から」神の国に導こうとしており、神に従う人々には永遠の御国が約束されていると告げる福音である。
 このようなメッセージを含むキリスト像は、この日、灰の水曜日の福音朗読箇所であるマタイ6章1-6節、16-18節の教えにもよく響き合うのではないだろうか。見せびらかしではなく、真心から善行・施し・祈り・断食を行う人のことはたえず隠れたところにいる父が見ているといわれる。ファリサイ派と称される、模範的でない人たちの態度への否定的な教えがあると、聞く我々は、そのような特性が自分たちにもあるかもしれないと考えてしまうだろう。しかし、イエスは、隠れた行いをもたえず父である神は見てくださっていると語る。神に心を向け、その意志に添って生きようとする人を、神は見捨てたままにすることはない。まさしく福音である。
 神は「恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富み、くだした災いを悔いられる」(第1朗読個所ヨエル2・13)方である。その神に、我々はイエス・キリストによって「和解させていただき」(第2朗読 2コリント5・20)、「神の義を得ること」ができている(同21)。
 四旬節には、つらい節制・苦行に入る日のイメージがあるかもしれないが、むしろ、イエス・キリストによって、「恵みの時」「救いの日」(第2朗読 2コリント6・2参照)が来ていることを悟り、受け入れ、その事実に添って生きることへの招きであるにちがいない。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

愛に立ち戻る
 私たちは自分で自分の人生をコントロールしたいという自立の欲求を持ち、自分の力で人に認められようとして外部から与えられる満足に期待したり、それに執着したりする。ナウエンはそうした自身の姿をふり返り、その根底に、自分自身に対する恥や罪悪感、嫌悪と、周囲の人々に対する恐れがあることを見出す。そうした内面の揺れ動きや恐れを直視すると同時に、彼は自らの心のより深いところに響く愛の声に耳を傾け続け、自身の痛みとキリストから与えられる慰めを涙の内に行き来しながら、もっとも必要なことは私たちに対する神の愛に立ち戻ることであるとあらためて気づいていく。

武田なほみ 著『人を生かす神の知恵――祈りとともに歩む人生の四季』「6 喜びを選ぶ」本文より

このページを印刷する

バナースペース

オリエンス宗教研究所

〒156-0043
東京都世田谷区松原2-28-5

Tel 03-3322-7601
Fax 03-3325-5322
MAIL