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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2020年10月04日  年間第27主日  A年(緑)  
このぶどうの木を顧(かえり)みてください(答唱詩編 詩編80・15より)

ぶどうの収穫 
コンスタンティナの石棺彫刻 
バチカン ピオ・クレメンティーノ美術館 4世紀

 この石棺彫刻は古代ギリシア・ローマ文化において親しまれた表象を盛り込んでいる。翼のある裸の子どもたちはキューピッドとしても知られる「アモール」(愛の神)である。彼らがぶどうの実を収穫しているというところに永遠の命が実るという意味合いが込められ、石棺に納められた故人の永遠の憩いを願うものとなっている。異教的表象を取り込みながら、キリスト教的な信仰心を表現していった初期キリスト教美術の特質を考えるなら、ここで聖書におけるぶどう(ぶどう酒、ぶどう畑、ぶどうの木)のイメージの伝統を想起して鑑賞する意味がある。ちなみに、上述のアモールは天使像の源流でもある。
 旧約において、神の民イスラエルはしばしばぶどうの木(ホセア10・1、エレミヤ8・13参照)やぶどう畑(イザヤ5・7=きょうの第1朗読。ほかにエレミヤ12・10など参照)にたとえられている。そこに実るぶどうの実は信仰の象徴、不実や悪いぶどうは不信仰の象徴となる(エレミヤ2・21参照)。きょうの答唱詩編〔詩編80編〕も神の民をぶどうの木と表し、神の保護を願うものである。
 きょうの福音朗読箇所マタイ21章33-43節の「ぶどう園と農夫」のたとえも、このような比喩を背景にして語られている。しかも、それぞれのたとえの要素が何を指しているか、かなり具体的にわかるほどに寓意的な話となっている。マルコ福音書12章1-12節、ルカ福音書20章9-19節にも並行箇所があり、もともとはマルコ福音書以前にあった伝承をマルコが福音書に収め、そこをマタイは取り込みながら、さらに独自の観点でまとめているといわれている。
 マルコに伝えられる話との比較から、マタイの観点を示すのにポイントとしてしばしばあげられるのは、まず「ある家の主人」(マタイ21・33)で、話が神(=「主人」)と民(=「ぶどう園」)の関係であることがわかる。マルコでは、まず一人ずつ3回派遣され、さらにもっと多くの僕(しもべ)が送られたのに対して、マタイでは僕たちが2回に分けて送られる。ここは、バビロン捕囚期前と後の預言者たちのことを意味していると考えられている(捕囚期前の預言者に従わなかったことへの戒めについてはエレミヤ7・25-26参照)。マタイでは、最後に派遣される「息子」(マタイ21・37、38)はもちろんイエスのことであり、マルコ(12章8節)と同じように、農夫たちが「息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった」(マタイ21・39)とあるところは、イエスがエルサレムの城外で十字架にかけられたことが暗示される(ヘブライ13・12-13参照)。
 マタイは、このたとえ話の締めくくりとして、マルコにはないことを述べている。「神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる」(マタイ21・43)である。ここはユダヤ戦争(70年)でのローマ帝国によるエルサレムの陥落という歴史的出来事を背景にしているとされる。ユダヤ人(ユダヤ教徒)が受け入れなかったイエス・キリストの福音は、異邦人に向けて告げられていき、そこで「実を結ぶ」こと、すなわち、神の国とその義を求める(マタイ6・33参照)生き方が呼びかけられているのである。
 このたとえ話は、さらに詩編118の22-23節の引用によって深められる(マルコ12・10-11 も同様。ルカ20・17では、詩編118の22節のみが引用されている)。ここは、イエスの復活の意味を告げるものとして、イエスが死と復活によって新しい神の民の礎石となったことを告げ、イエスの復活のあかしとして大切にされる文言である(使徒言行録4・11、一ペトロ2・7参照)。我々には復活徹夜祭のアレルヤ唱、復活の主日・日中のミサの答唱詩編として親しまれている詩編である。マタイの文脈では、このたとえ話もまた、受難と復活の予告の意味をもっているということが強く感じられる。
 最後の「ふさわしい実を結ぶ民族」という異邦人宣教への期待感の延長に、異教的表象を取り込んで刻まれるこのぶどうの収穫の図像を眺めてみると、キリスト教の広がっていった様子、福音宣教から芸術作品が生まれていったプロセスをも興味深く想像することができるだろう。人生のすべてを福音に委ねるかのように、故人の願いや家族の願いを集約して、石棺に刻まれているのは、ぶどうの実を刈り取る、神の使いの姿であり、そこには、人々の共通の思いである「愛」の意味も込められている。神がたびたび預言者を、そしてついには御子を送り、救いに導こうとしていた、その御心にすがり、身を委ねようとしていた人々の信仰心をこの工芸のうちに感じ取っていけるのではないだろうか。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

17 つながっている
 イエスさまが活動したユダヤの地方や、いまのパレスチナは、ぶどうの産地です。聖書にはぶどうのお話が何回も何回も出てきます。それだけ身近な、ふだんの生活と結びついたお話をイエスさまはなさったのですね。そして、このお話のなかで、イエスさまは何度も「つながっている」とくり返しています。

江部純一 著『神さまの風にのって――子どものための福音解説』「17 つながっている」本文より

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