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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年02月07日  年間第5主日  B年(緑)  
イエスがそばに行き、手を取って起こされると…… (マルコ1・31より)

シモンのしゅうとめのいやし
挿絵 
アトス イヴィロン修道院の福音書 13世紀前半


 アトス半島の東岸に位置する東方正教会のイヴィロン修道院で13世紀に作られた朗読用福音書の挿絵である。この修道院はビザンティン・イコンの宝庫といわれ、この朗読福音書の挿絵は、豊かさと美しさにおいてアトス随一といわれる。全部で43の挿絵があり、四福音記者それぞれの姿、マタイ9場面、マルコ7場面、ルカ6場面、ヨハネ8場面その他を含む。興味深いのはイエスの宣教活動の中から病気の人をいやす場面が各福音書から多く取られていることである。いやしの行為のうちに救い主としてのキリストの姿がもっともよく示されるからであろうか。
 表紙の絵は、その中でもきょうの福音朗読箇所マルコ1章29-39節に含まれる、シモンのしゅうとめのいやしの場面。本文ではたった3つの節で語られるだけである(マルコ1・29-31)。舞台はシモンとアンデレの兄弟の家。ゼベダイの子ヤコブとヨハネも一緒だったと記されている。この話を、表紙絵は、イエスがまさにシモンのしゅうとめの手を取った瞬間に注目して描いている。この二人の手の部分が画面全体の中心に描かれているところに、絵師の眼差しが感じられる。(向かって)右端には、しゅうとめを世話する女性、(向かって)左側には、先頭にいて右手を差し出しているシモン(ペトロ)と他の弟子二人が見える。こうして、左右のバランスもよく、この出来事が示すものの意味深さを際立たせている。
 マルコの叙述とは、取り立ててことばを重ねない。「イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした」(1・31)と記すだけである。このさりげない描写のことばは、繰り返し読んでいくうちに、無類の含蓄を帯びるようになる。イエスは、救い主として、病に苦しむ人の「そばに行く方」、そして「手を取って助け起こされる」方である。イエスが行動すると、苦しみが去っていく。これは、イエス自身が告げるように「神の国は近づいた」(マルコ1・15)ことのあかしである。この「起こす」は復活に関しても使われる単語で、復活は死の状態から起こされることであるという意味を暗示する。まさしく病の苦しみはいのちが起こされていない状態として死の状態と同様にも思われる。このいやしは死から永遠のいのちへの復活をもたらすイエスという方のあり方とその力を示しているものとして味わうことができる。もちろん、それは、イエスの受難と復活を知っているからである。福音書が伝えるさまざまなイエスの行いやイエスを巡る出来事は、そのあとから復活の光のもとで格別の意味を帯びてくることはいうまでもない。
 そのような見方から、もう一つ指摘されるのは、ここで、いやされたシモンのしゅうとめが「一同をもてなした」(1・31後半)と記されているところについてである。「もてなす」とは「仕える」とも訳されるギリシア語ディアコネオーで、教会用語としては「奉仕者」や「助祭」の語源をなすものである。救われた者が共同体に仕える者となっている光景が、ここでさりげなく記されているわけである。最初の弟子たちの召命に続くいやしの出来事は、神の国の到来のあかしであるとともに、そのことが次第に広く告げ知らされていくにつれて、イエスに従う人々が互いに奉仕し合う教会共同体が生まれていく。そのことが活写されているともいえるのである。このような事態は、「わたしは宣教する。そのためわたしは出て来たのである」(1・38)というイエスの力強い宣言のうちに明らかである。「宣教する」とは、マルコの文脈では、ことばによる教えというより、病気にかかっている人々のいやしと悪霊追放に関して言われているようである(1・34参照)。いわば神の権威の実力行使、このことのうちに神の国の訪れがあり、イエスが神の子であることのあかしがある。
 そして、これらのすべての原動力、源となっているのがイエスの祈りであった。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」(1・35)という記述によって、イエスという方の深遠さが示される。弟子たちの目からさえも自身を隠しているところに、御父との孤独な対話である祈りをとおして、その力がいわばチャージされている様子が印象深い。イエスは単なる治癒行為者なのではなく、あくまで御父である神をあかしする方、神の国をもたらす方である。地上のいのちを脅かす、闇の力や悪霊の働きも、人が主イエスと出会うためのきっかけとなっているに過ぎないかのようである。イエスと出会いによって、人は礼拝者、宣教者、奉仕者として起こされ、新たに生まれるのである。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

年間第五主日

 家を拠点とした宗教家としてのイエスの活動は、悪霊祓いや病の癒しとは無関係ではない。これらの問題は一般庶民に大きくのしかかっていた。古代の遺跡からお守りや厄除けが発掘調査で数多く見つかっている。隠遁生活をするエッセネ派と異なり、史的人物としてのイエスの庶民性がその治癒活動に現れている。

和田幹男 著『主日の聖書を読む――典礼暦に沿って【B年】』「年間第五主日」本文より

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