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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年10月03日  年間第27主日  B年(緑)  
人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう (創世記 2・18より)

男女としての人の創造
聖カストルの聖書
十一世紀後半 ドイツ バンベルク国立図書館

  カストルという聖人に捧げられた聖書写本の挿絵から、男女としての人間の創造を描く場面である。カストルは4世紀前半のモーゼル河沿いのカルデンという土地にいた隠世修道者と伝えられる聖人である。10-11世紀にカルデンで崇敬が高まり、同地の守護聖人となっている。表紙絵が描く場面は、まさにきょうの第一朗読で読まれる、主なる神が人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられたところ(創世記2・22)にあたる。人間の創造を具象的に叙述する場面である。
 絵では、主なる神が中心に大きく描かれている。しかも、まさしくキリストのように表現されていることに注目したい。ここに意図があるのだとすれば、キリストによる人間の再創造を描いた絵となる。そう見ると、画面に霞んだ印象を与えている色彩が興味深く見えてくる。全体の基調となっている茶色(土の色)、そして背景の青と緑である。神は人を土から造り、息吹を与え、生きる者とした(創世記2・7参照)。そしてキリストの死と復活は人間の第二の創造となり、聖霊を与え、永遠の命へと導くものとなった。一つの画面の中に、この最初の創造と第二の創造を重ね合わせて考えてみることが、きょうの聖書の内容を考えるうえでも、重要なのではないだろうか。
 きょうの福音朗読箇所は、第1 朗読の創世記2章18-24節との対応関係からも、イエスの言葉として告げられる「人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」(マルコ10・7-8)ということにあることは明らかである(創世記2・24参照)。福音朗読主題句も「神が結び合わせてくださったものを人が離してはならない」(マルコ10・9 )が挙げられていることからも、男女、そして夫と妻の結びつき、一体性は神のみ心にあるということが主題である。創世記の叙述に含まれている教えを引きつつ、イエス自身が男女のきずなについての決定的な教えを告げる。これが教会の結婚についての教えの核心として受け継がれていることはいうまでもない。イエスが律法を否定せず、それを完成させる方であること、律法の根底にある神のみ旨を明らかにされる方であることが示される重要な箇所である。福音書の文脈の中で見ると、そのあとに「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(15節)というテーマに続いていくところから、前段も結婚の意味についての教えも、根本的には、神の意志を素直に受け入れることの一つとして教えているものと受けとめることもできる。
 さて、第一朗読の創世記の箇所(2・18-24)は女の創造に関するものだが、これはもちろん、2章4節bから3章24節までの人(アダム)と女(エバ)に関する叙述全体の中で位置づけて見る必要があるだろう。朗読箇所は(2・18-24)、ちょうどA年の四旬節第一主日に読まれる箇所( 2・7-9、 3・1-7)の中で、真ん中の略された部分に含まれる箇所である。主なる神は、人(アダム)の創造に続き、助ける者を造ろうとして女を創造するのだが、その直前に「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(2・17)と命じている。女を造ったあと、(3章に入ると)蛇が女にその木から食べるようそそのかす。このように、女の創造の叙述とそこに含まれる「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」という教えは、神の命令とそれに対する背きというテーマと交わるかたちで展開している。二人の結びつきは、神のことばに背く、人類の罪の連帯いうテーマと関連し合っているのである。その意味で、「二人は一体である」という教えは、結婚についての教えというだけではない、もっと広大な教えを告げているように思われる。
 表紙絵に戻ろう。男の体の中から女が引き上げられているという形で、創世記の2 章21-22 節が述べる男のあばら骨からの女の創造を表現している。言葉での叙述があばら骨からの創造という事柄の印象を強くしてしまうが、絵という表現方法を通じて見てみると、男と女の関係の深さのほうにいっそう眼差しが向けられるのではないか。女のほうは、まっすぐに創造主である神を見つめているのに対して、男の表情は、なにか畏れおののいているように見える。この表情の中から、「これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉」(創世記2・23)といった感動の叫びが出てくるのであろうか。男女としての人間の創造の神秘への感動は、この絵を見る我々の中でこそ、目覚めさせるべきことであろう。
 いずれにしても、ここに描かれる、主なる神は、キリストの暗示でもある。主キリストは、自らの死と復活を通して、神と人との結びつきを回復させ、そのことのうちに、全人類の一致、そして、男女としての人間の一致を再建した。別れてはならないという教え以前に、「一致の根源へ帰れ、一致の源が神の子キリストによって訪れている!」という福音がここにある。


 きょうの福音箇所をさらに深めるために

相手についての誤解
 この相手の性格、気になる点、欠点などに対して、自分は丸ごとありのままに受け入れる用意はあるのかどうか考えてみましょう。もっとも相手の性格について自分のほうから条件をつけたり拒否したりするのは、やむを得ないでしょう。しかし、性格は一生かけてもあまり変わらないものです。ある程度で妥協する必要があるでしょう。しかし著しく悪い癖、たとえば暴力を振るう、酒乱癖がある、ギャンブル好きである、といったことは、本当に改めようと努力しているかどうかを見極める必要があります。自分が改めさせてあげると安易に考えることは、結局は自惚(うぬぼ)れであり、一生苦しむことになりかねません。

カトリック通信講座『幸せな結婚』「第1講 結婚を考えている二人へ」本文より

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