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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2022年6月5日  聖霊降臨 C年 (赤)  
一同は聖霊に満たされ、話しだした (第一朗読主題句 使徒言行録2・4より)

聖霊降臨 
エグベルト朗読福音書
ドイツ トリール市立図書館 980 年頃

 聖霊降臨と呼ばれる出来事を伝えるのはきょうの第1朗読箇所である使徒言行録2章1-11節、この箇所がA年、B年、C年を通じて、いつも読まれる。この出来事の背景を知るためには、その前の1章12-26節も重要である。使徒たちはエルサレムに戻ってきて、ある家に泊まっていた。そこで、イスカリオテのユダが抜けて11人になっていた使徒団の中で、新たにマティアが選ばれて加入する。ここを踏まえると、聖霊降臨の場面にいる使徒は12人となる。表紙の絵でもやはりやはり12人である。ただ12人が同等に描かれているわけではなく、ペトロを中心に7人が着座、他の5人は後ろから覗く姿で描かれている。
 聖霊降臨の出来事を表現する絵は、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」という使徒言行録2章3節の叙述を主題に、天から注がれる聖霊を鳩の姿で描き、その口から出る炎が使徒たち(その中央にマリアが描かれる図もある)の頭の上に注がれるという点を強調するものが多い。それに対して、表紙絵の聖霊降臨図は異色である。たしかに一番上に小さく金色で聖霊の注ぎが描かれている(そのまわりの記されている文字は、「霊が炎のような舌になり」といった意味の文言)が、場面全体を構成するのは聖霊を受けた使徒たちのうち前列の7人が(手前に描かれる)多様な人々(ここでは9人) に両掌を向けているという光景である。この人々の上の文字は「集まっている民は震え」といった意味で、使徒言行録が「あっけにとられ」(2・6)、「驚き怪しんで」(2・7)、「驚き、とまどい」(2・12)と言ったことばで表現している様子を独自に要約している。使徒たち「一同は聖霊に満たされ、“霊" が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(使徒言行録2・4)ことに対する民の驚き、おののきを描くことで、聖霊降臨の出来事の一種の衝撃性を表現しているといえる。それは、聖霊の注ぎから始まる宣教の始まりの瞬間といってもよいかもしれない。
 使徒団の中央にいるのは、白い頭髪と髭が特徴のペトロである。そして7人の使徒たちの手前の中央の部分には、小さな台の上に置かれたパンが見える。使徒たちと人々の囲む空間の中央にあり、絵全体の構図の中心をなしているのがこのパンである。そこには「共同体のいのち」を意味する文字(communi(s) vita) が記されている。これは、実にユニークな描き方で、さまざまな味わいをもたらす。
 もちろん、そこには聖体の秘跡のことが考えられていよう。パンについての言及は、使徒言行録における聖霊降臨の叙述には直接出てこないが、それに続いて記されるペトロの説教(2・14-40)を聞いて回心した三千人の洗礼(41節)の話に続いて、彼らは「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(42節)と記される。この「パンを裂く」は今日のミサの感謝の典礼にあたるもので、教え、交わり、祈りを含めて、初代教会の典礼集会の様子を要約するものと考えられている。聖霊降臨から始まる福音宣教、そしてその宣教を通して生れるキリスト者の共同体の姿、その中心に聖体としておられるキリストのことまで含ませて描く図といってもよいだろう。
 この聖霊降臨は、イエスの復活から50日目の歴史的出来事として、使徒言行録は描くが、決して、過去のひとときに起こった一種の奇跡として意味をもつだけではない。ここで描かれているのは、キリストと教会の普遍的な恒常的関係を実現させる聖霊の存在と、その働きが描き出されている。したがって聖霊のことも、聖体のことも、ここでは、教会の現在の本質的な姿を示すものとして描かれているということも重要である。これは、この日(聖霊降臨の主日C年)の福音朗読箇所であるヨハネ福音書14章15-16 、23b-26節の教え、弁護者である聖霊がイエス・キリストと教会の結びつきを媒介してくれることを教えるものである。これは、最後の晩餐で語られたイエスの教え、すべての弟子たち、つまりキリスト者にとっていつもあることを予告しているにほかならない。そして、聖霊がわれわれのうちに一緒にいてくれることの意味を語るのは、第2朗読箇所(ローマ8・8-17)である。パウロは「あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます」(9節)として、いつも「あなたがた」への呼びかけとして語る。あるいは「この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と(神を)呼ぶのです」(ローマ8・15)とも語る。キリスト者は共同体として、聖霊の働きのもとに導かれているが、このことを生き生きと感じられるのはもちろん、典礼においてであろう。典礼の集いと心を合わせて祈るその祈りは、紛れもなく聖霊の恵みであり、この祈りを通して聖霊の働きを生き生きと感じつつ、我々はキリストと結ばれている神の子どもたちであることを実感することができる。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

 聖霊の助けを信じて生きよう
 ほんとうに苦しくて、仕事をやめてしまいたくなったことも、ありました。けれども、たくさんの苦しいことから立ち上がって、司祭の仕事を続けてこられたのは、多くの人たちの祈りと、助けとに支えられていたからです。それいじょうに、わたしを支え、守り、導いて、もっとも善いものを与えてくだきったのは、聖霊です。

高田徳明 著『きょう呼びかける神 2』「聖霊の助けを信じて生きよう」本文(ルビ付)より

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