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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2022年7月24日  年間第17主日 C年 (緑)  
神はあなたがたをキリストと共に生かし、一切の罪を赦してくださった (第二朗読主題句 コロサイ2・13より)

十字架のキリスト
ビック司教区のミサ典礼書挿絵
スペイン バルセロナ中央図書館 14世紀

 きょうの福音朗読箇所は、ルカ11章1-13節、全体として、祈りについての教えである。ルカによる「主の祈り」(2-4節)が示されるところで、これも重要な点であるが、それに続く教えの中の「求めなさい。そうすれば、与えられる……」(9節)というところに焦点を当てて福音朗読箇所として選ばれている(福音朗読主題句もこれである)。「求めよ、さらば、与えられん」と日本でも文語体で格言として多くの人が耳にしているこの教え――誠実に祈り求めることに対して、神は必ず応えてくださること――を確言する、イエスのこの教えは、大変な励ましであろう。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(9節)……見事な三連句である。
 主題的なつながりをもつ、第1朗読箇所は創世記18章20-32節。ソドムの町のすべての人に罰を下そうとしている神に対して、アブラハムがその中にも正しい者がいることを訴え、それでも滅ぼすのですかと、ことばを重ねてとりなす場面である。これは、信仰と謙遜をもって誠実に神に祈り求めるアブラハムの祈りが、神に聞き届けられた例として福音の教えの前例として示されている。
 このようなメッセージを中心とするきょうの主日であるが、表紙絵は、第2朗読にちなんで選ばれている。第2朗読箇所のコロサイ書2章12-14節の冒頭、「〔皆さん、あなたがたは、〕洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです」(12節)を心に留めるために十字架のキリスト像を掲げている。
 この十字架磔刑のイエスの姿は、さまざまな描写があるが、この絵の場合、白く細い身体が特徴である。手のひらから流れる血、右の脇(この場合は右胸の位置にあるが)から流れる血、また足から流れる血の赤さとその勢いもかなり強調されている。十字架で流された血に対する強い思いのある描写といえるかもしれない。イエスの腰の部分に透けた薄い生地が巻かれているが、この描写もこまやかである。イエスの身体全体の印象はどうだろうか。これほど血が強調されているのに対して、その姿からは残酷さのイメージが感じられない。あくまでの白いその身体に、すでに復活のいのちが映し出されているのではないだろうか。
 十字架磔刑図の定型要素である、イエスの両脇のマリアと使徒ヨハネについては、ヨハネ19章26-27節が根拠になっていることはすでに周知のことだろう。イエスは一方でマリア(ヨハネ福音書にはマリアという母の名前が出てこないが)に対して「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」(ヨハネ19・26)と言って使徒ヨハネ(ヨハネ福音書は「愛する弟子」と記す)をマリアに託す。他方、使徒ヨハネに対しては「見なさい。あなたの母です」(2節)と言って、母をこの弟子に託すという場面である。
 この絵の場合、マリアと使徒ヨハネの描き方がユニークで面白い。それは、それぞれに動きがあることである。マリアは、体をやや後ろに反らせ、胸の前で手を重ね、真横を凝視している。その眼差しはどこに向かっているのだろうか。もちろんイエスの十字架での死を見つめているようでもあるが、十字架のそばで立つ位置は、マリアと使徒ヨハネの立ち位置の少し奥のようなので、むしろ、使徒ヨハネに向かっているようにも見える。他方、使徒ヨハネは、イエスのほうを見上げてはおらず、ややうつむきかげんで、両手を広げている。これは、十字架を見ないで、イエスの死を受け止めているという態度であろうか。イエスのほうに向かう眼差しは、同時に、前の同じ立ち位置にいるマリアにも向かっている。つまり、マリアと使徒ヨハネは視線を合わせているように、そして、十字架の出来事の意味に思いを向け、その思いを交わし合っているようにも見えるのである。そうであるなら、すでにここには教会の信仰の思い、十字架の出来事に対する信仰的理解のためのプロセスが始まっているともいえる。二人の目の描写に心を留めてみるだけで、我々の側での黙想も広がっていきそうである。
 きょうの福音の中心メッセージ「求めなさい、そうすれば、与えられる」と、この十字架のイエスの姿、そしてきょうの第2朗読(コロサイ2・12-14)の箇所を重ね合わせてみるとき、イエスが祈り求めて自分自身をささげられたその目的のもの(永遠のいのち、神との一致)が、すでに与えられているというところに、復活の意味があるのだろう。すでにここには復活の喜びがある。それを醸しだすのが十字架の背景を占めている赤と装飾模様である。無数の星にも、無数の花にも見えるこの背景に神の恵みがあふれている。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

導きの必要性を考えさせる
 心の成長の中では自由の成長がその中心です。堅信の準備のとき、真の自由によって生きる術を学ぶべきです。目先の欲望にいつも従う人は自由を捨てた人です。わがままな心と自由な心との区別を考えさせましょう。
 残念ながら、現実には目先の欲望の奴隷になる人が多いのです。お金の奴隷、快楽の奴隷、権力の奴隷、そして、最近では、スマホの奴隷になっている人が増えています。このスマホのバーチャルの世界の虜(とりこ)になっている若者が多く、懸念されます。

オリエンス宗教研究所編『信仰を求める人とともに』「第4章 堅信の秘跡の豊かさ」本文より

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