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コラム

聖者と死者のコラボレーションコラム一覧へ

川村信三(イエズス会司祭・上智大学文学部教授)
 「諸聖人の日」の翌日が「死者の日」。このことを不思議に感じたことはないでしょうか。「聖なるもの」と「死するもの」が自然に結びつくことなど通常ではありえないことです。そのコラボレーションを可能にするところがキリスト教「信仰」の妙なのです。
 古代ローマ時代、一般的な「死」は恐れの対象であり、墓場は絶望に満ちた場所でした。ゆえに古代ローマ人は生活空間である城壁の中に墳墓を決してつくらず、城壁の外で葬りの場を設け、死と日常を切り離していました。そんな通念をキリストの死と復活の福音がすっかり変えてしまいました。「永遠の命」の希望をもって生きた人の墓は、その人の追憶の場になると同時に、その人が生前用いた遺物をも「追憶」のしるしへと変化させました。
 特に信仰のゆえに命を賭した殉教者への特別な思いが、
「死者」を「聖者」へと昇華させました(古代の聖者はほぼ例外なく殉教者)。「聖遺物」はやがて、その人のペルソナの宿るものとして大切にされ、そこから超自然的な力がもたらされると信じたキリスト者たちが、社(やしろ)を設け、その中心の祭壇の上に「聖遺物」を埋め込むようになりました。すなわち、聖堂は、「墓所」であると同時
に、「聖者」のエネルギーの満ち満ちた場となったのです。聖者の葬られた場所は、この地上と神の国をむすぶ結節点でもあります。こうして、キリストの信仰をもって亡くなった「死者」は、「神」と人をむすぶ大切な役割を担うことになりました。
 日本人にとって墓場は、葬られた方への生前の感謝を表し保護を願う場という意味が大きいようで、つまりは現実志向かもしれません。一方、キリスト教の墓地は、いずれ帰っていくべき「故郷」、大切な人々と再会できる未来への希望を強く感じさせます。この違いは、キリスト者の「信仰」というファクターから説明できます。
亡くなったあの人は、かならず「天国」にいて神の近くにある。だからこそ、その墓所は神の国と結びつく。永遠の命、そして復活の希望という信仰なしにはこの感覚は決して生まれないでしょう。もちろん、私たちの信仰は「死者の蘇生」を期待するものではありません。その復活がどのようなかたちで実現するか誰も知りません。ただ、二千年前、数百人に示された、「キリストの復活」の証言が私たちに、あのキリストと同じように復活すると確信させているのです。「死は終わりではない」。イエス・キリストがみずからお示しになったその出来事のうちに、私たちは「死者」を尊び、「聖者」を追慕し、「またお会いしましょう」という希望のうちに、今、この瞬間を生きることができているのです。
(『聖書と典礼』2020年11月01日より)

『聖書と典礼』諸聖人(2020年11月01日)表紙絵解説

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