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コラム

コラム一覧へ 復活の光に照らされて

(髙山貞美 聖心布教会司祭)
 主のご復活おめでとうございます。今年も桜前線とともに復活祭が訪れました。全世界がコロナ禍に見舞われ深く傷ついた状況の中でも、季節はめぐり大地は生命を育み、草や花は風にそよいでいます。
 イエスの復活に思いを寄せる時、真っ先に思い浮かぶのは復活したイエス様が弟子たちに「現れた」場面です。不安と恐怖からイエスを見捨てて逃げ去った弟子たちに、イエスご自身が現れたことです。その時の彼らの反応や表情はどうだったのでしょうか。弟子たちに限らず、人はだれでも闇の中ではなにも見えません。清らかな光に照らされて初めておのれの影に気づかされ、回心の道が開かれます。このように復活は、イエスの復活であるとともに弟子たちの復活体験でもあったのです。
 ところで、私は仏教美術に興味があり、『山越(やまごし)阿弥陀図(あみだず)』や『早来迎(はやらいこう)』などの来迎図(らいごうず)を見ると、戦乱や飢饉の時代を生きた人々の切なる祈りを感じます。来迎図とは、平安中期以降、死の迫った念仏者を浄土に迎えるために阿弥陀仏が人間世界に下降する様子を描いたものです。はるか彼方の西方浄土から菩薩たちを従えて急ぎ来る阿弥陀仏の慈悲が表現されており、当時の民衆の深い信仰が伝わってきます。キリスト教においても仏教においても、「だれ一人見捨てない」神や仏の普遍的な愛が示されており、さまざまな違いはあるものの、両者の教えには共通する点もあるように思われます。
 今から二千年前、神の愛は歴史上の一人の人物によって究極的な形で示されました。イエスの生涯、とりわけ、「死と復活」の出来事です。死んで三日目に復活したイエスが弟子たちに現れたことは、まったく新しい「いのち」の始まりを意味します。この「イエスは生きておられる」という強烈な体験が、彼らを立ち上がらせ、その後の生涯における福音宣教の原動力となりました。
 そして今、コロナ禍における一人ひとりの生き方が問われています。洗礼の恵みを受け、イエス様との人格的な交わりの中に生きる私たちも、復活の光に照らされて他者に開かれた存在でありたいと願います。 
(『聖書と典礼』2021年4月4日より)

『聖書と典礼』復活の主日(2021年4月4日)号表紙絵解説

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