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コラム一覧へ 信仰の模範――イエスの「父」であるヨセフ

山本久美子(聖ヨゼフ修道会会員)
 教皇フランシスコは、聖ヨセフをカトリック教会の保護者とする宣言一五〇周年の記念に、昨年の十二月八日から今年の同日までを「ヨセフ年」と定められました。
 教皇は、使徒的書簡『父の心で』の中で、「わたしたちの生活(は)市井の人々―忘れられがちな人々―によって織りなされ、支えられ」「聖ヨセフは、……だれもに、救いの歴史の中で、比類なき主役になる資質があることを思い出させてくれます」と、わたしたちに、すべてのキリスト者の聖性への召命(『教会憲章』40参照)を思い起こさせてくださっています。
 聖書は、ヨセフについて多くを語っていませんが、マルコ福音書の「この人は大工の息子ではないか」(6・3参照)という人々の言葉は、ヨセフがどこにでも存在するような「普通の人」であったことを表わしていると思います。
 しかし、イエスの宣教活動と十字架の死に至る道を支えたのは、最初に彼を信仰と愛をもって育て、彼の品性を養った家族、母マリアと養父ヨセフとのナザレの日常に他ならないと、私は確信します。イエスは、特に、ヨセフの「父の心」を通して、父なる神のいつくしみを体感し、御父との親しい関係を深められたと思います。
 マタイ福音書(1・18-25)によると、ヨセフは、眠っている間に夢のお告げを受け、その言葉を信じて、自分には身に覚えのない子どもを宿した婚約者のマリアと、自分の子どもではないイエスを迎え入れました。眠りとは、「自我に死ぬ」ことを意味します。ヨセフは、人間として、当然マリアに対して抱いた不信や落胆、憤りといった感情を超え、神のみ心はどこにあるのかを見極め、神に従う行動を自ら選んだのです。ヨセフは「普通の人」でありながら、深い祈りと識別のうちに、神からの召命と役割を生き抜いた人です。
 このヨセフの信仰と識別の模範、そして、人間の父としてイエスに注いだ「父の心」は、イエスの道、受難と十字架上の死にあっても、イエスを根底から支え、イエスをご自分の使命に促したと言えるでしょう。
 (『聖書と典礼』2021年7月4日より)

『聖書と典礼』年間第14主日 B年(2021年7月4日)表紙絵解説

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