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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年07月04日  年間第14主日  B年(緑)  
キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう(二コリント12・9より)

使徒パウロ   
フレスコ画  
ローマ ドミティッラのカタコンベ 4世紀

 きょうの福音朗読箇所はマルコ6章1-6節、預言者は故郷では敬われない、という印象深いエピソードが語られる。この場面に関する画像作品は実はほとんど見当たらない。福音朗読にちなんでの表紙絵探しは、いつも難しく、第1朗読(エゼキエル2・2-5)にちなんで預言者エゼキエルか、第2朗読にちなんで使徒パウロの画像を観賞することが多い。今年は、カタコンベの壁画に描かれたパウロの姿を味わおう。
 見たところ、このパウロは、パンが入った籠を前にしているようである。そして右手に抱えているのは巻物と思われる。これだけでも、使徒としての使命、すなわち、神のことば、キリストの福音を告げ知らせ、聖体を授与していくという根本的使命が表されていることになる。パウロの姿は、禿げ上がった頭、そしてひげが特徴である。このように、カタコンベ時代から、ほとんど変わらない風体でイメージされているというのも驚くべきである。
 第2朗読は、二コリント書12章7節b-10節で、この「わたしの身に一つのとげが与えられました」(7節b )と 自分自身の体験を告白する内容である。自分自身の「弱さ」、受ける「侮辱」、直面する「窮乏」「迫害」、「行き詰まり」ということ(10節参照)の中にキリストを感じている心境が語られ、すべては「キリストのため」であることとして「満足し」(10節参照)、「弱さ」の中でこそ「力」が発揮される、それは、「わたしの内に宿る」「キリストの力」(9節参照)なのだという使徒としての確信が、切実さをもって語られている。
 このように、キリストに遣わされた者として自らが置かれている状況や語られる心境は、旧約の預言者エゼキエルも先駆的に体験している。第1朗読は、そのような「反逆の民」(エゼキエル2・3)に遣わされる預言者の宿命を暗示する。このことは、直接には福音朗読箇所に示されるイエスの置かれた状況を前もって示すものとなっている。「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」(マルコ6・4)というイエスのことばが見つめているのは、イエスが派遣されたところの「反逆の民」の姿である。
 少なくとも福音朗読箇所と第1朗読箇所を通じて示される根本的な問いかけは、いかにして神のことばに心を開くことができるか、イエスを神の御子として受け入れることができるかであり、そのようにして、キリストに従うことへの決断が呼びかけられていることに気づく。つまり、イエスの格言的な語り方から、「預言者は、故郷では敬われないものなのだ」という教訓を受けとるだけは足りないわけで、自分たちの状況の中で、はたしてキリストを見ることができているか、受け入れ、信じ、信頼することができているか、が問われているのである。そのように、現在の我々への問いかけ、呼びかけとして受けとめるときに、実は、第2朗読の使徒書が大きな力になってくる。
 ここのパウロのことばを、「ああ、個人的な信仰告白だな」と、遠くに置いて第三者的に観賞するだけでは足りない。パウロは、個人的な心境を語りつつ、それがキリスト者にとっての普遍的なあり方であるということをあかししている。したがって、我々は、この告白を通じて、自分自身の信仰者としてのあり方、自分たちの周囲の状況、そして直面する現実を考えるようにと促されてくるのである。
 「サタンから送られた使い」(二コリント12・7)が我々にもいないだろうか。我々を生き方において、信仰生活において悩ませ、痛ませるものがないだろうか。自分たちの中に「弱さ」を実感していないだろうか。あの時代は、使徒たちに対する迫害が、ユダヤ教徒からも、そしてローマ帝国の皇帝からもあったことが知られるが、我々の時代なりに、キリスト者に差し向けられる侮辱、迫害がないだろうか。自分たちの中で「窮乏」「行き詰まり」を感じていないだろうか。そのような困難や弱さの中でも、しかし、キリストの力が我々の中に宿っている……そのように周囲や自分自身を振り返るとき、パウロのことばは、現代の我々にとって、深く響くものとなる。なによりも、自分の置かれている状況、世界の現実の中で、キリストのことを考え、それを自分の身のこととして実感し、そこから行動しようとしている使徒の肉声に近いことばは、我々の心を震わせずにはいられない。
 熱心なユダヤ教徒として、イエスを主と信じて弟子たちを殺そうと意気込んでいたところ、イエスと出会い、直接召命を受けたパウロの人生(ガラテヤ1章11節~2章参照)を思うことも大切である。それは、我々一人ひとりのイエスとの出会いを振り返らせてくれる。我々のうちにキリストの力が宿っているとの告白は、なによりも力強い励ましとなる。カタコンベに映る、ひそやかなパウロの姿に伴われている、みことばと聖体は、彼のうちに宿る、キリストの力の象徴にほかならない。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

弱さが誇り
 すでに第一の手紙を書くときに、パウロはコリントの人々の変わりようを感じ取っていました。パウロは遠く離れていて、このコリントの人々の気持ちの変わりようをよほど異様に感じたのでしょう。そこで、自分たちが人より偉いかどうかなどは問題ではないという意味のことをたびたび書きます。


オリエンス宗教研究所 編『初代教会と使徒たちの宣教――使徒言行録、手紙、黙示録を読む』「第9講 コリントの信徒への手紙」本文より

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