赴任直後の主任司祭に誘われて傾聴活動に取り組んで九年目。時折「信じられない。夢みたい」と、覚えたての日本語で飛び上がって喜ぶ彼の姿が虚しくよみがえる。 大村入国管理センター(長崎県大村市)の面会室での彼は車椅子にもたれかかり、顔面蒼白で目の周りには隈(くま)ができ、焦点も不安定だった。あまりの姿に恐る恐る質問すると、「抗議の拒食を始めて二十六日目。昨日、三十歳の誕生日を迎えた。両親に心配をかけないよう少し水を飲んだ。ここを出るか死ぬか。元気な姿で出たい。私の命大事。スピリッツ、もっと大事。私の犯罪はクルド人ということだけ。中部国際空港で難民申請して六百七日目の今まで日本の土を踏んでいない。私たちの場所はない」。 何が望みですか? 「自由! 出所したら自分で作ったものを食べる」。……それから何度か面会を重ねた頃、彼の隣の部屋で三年七カ月もの間、長期収容されていたナイジェリア人のサニーさんが餓死した。「水だけは飲むようにと言ったが、日に日に衰弱して骨と皮になった。声をかけても返事がなくなった」。間もなく、彼から仮放免の許可が下りたとの連絡があった。「夢みたい」と。 しかし、その三十三日後の連絡では再収容されたと言う。「夢じゃないかと思っていたら、悪夢だった。今から拒食を行う」。アクリル板越しに再会した最初の言葉だった。「イランにいる両親に五十日間の拒食のことを伝え、今の写真を送ったら母が泣き出し、こっちの牢屋のほうがましだから帰ってきなさいと言われ、揺れている」「隣人の死を思い出すのでここは嫌だ」「日本人は悪魔と思っていたが、仮放免中の二十八日間で出会った人々は、だれひとり差別や排除はしなかったし、想像以上に優しかった」。私が問題だと思ったのは、仮放免中の仮所在地の許諾を受けたにもかかわらず、前言を翻して「許可していないから」と、彼の仮放免用の保証金の半分を没収したことだ。前回のハンストでの後遺症が残っており、再度の拒食はやめるように説得した。 程なくして面会申出を提出すると、「いません」との返事。事実上、送り帰されたのだ。風の便りでは、家族四人が六時間かけ、イランの刑務所に入れられた彼の面会に行くと父母だけが許可され、今は母が鬱(うつ)状態だという。基本的人権を主張し、難民申請をした彼は塀の中にいる。日本の入管・難民認定制度が問われている。 (『聖書と典礼』2021年9月26日より) 『聖書と典礼』年間第26日 B年(2021年9月26日)表紙絵解説 |