本文へスキップ
 
WWW を検索 本サイト内 の検索

コラム

コラム一覧へ 「わたしは主を見ました」

川中 仁(ひとし)(イエズス会司祭・上智大学神学部部長)
 イエスの弟子たちは、すべてを懸けてつき従っていたイエスが十字架上で無惨な死を遂げるという事態に直面し、死の危険に怯えながら、悲嘆と絶望の淵に沈んでいました。その弟子たちが、ある時点で別人のように変わり、一様に口にしていたのが、「わたしは主を見ました」(ヨハネ20・18)という言葉でした。
 イエスの復活ということは、死なないという意味での不死ということでもなく、死んだ人が生き返るという意味での蘇生ということでもありません。イエスが十字架上で無惨な死を遂げたということは、紛れもない現実でした。弟子たちにとって、イエスの死は、かけがえのない師を喪失したというだけではなく、それまでの生き方のすべてが否定されるような出来事でした。
 そのような絶望的な状況の中で、弟子たちは復活のイエスと出会います。では、復活のイエスと出会った弟子たちは、いったい何を悟ったのでしょうか? 彼らは、十字架上で無惨な死を遂げたイエスが「生きている」(ルカ24・23参照)ことを体験し、自分たちの直面している絶望的な状況を突き抜けるような地平へと開かれたのでした。それは、死をも超えるいのちがあるということ、またいかなる絶望をも超える希望があるということを悟った瞬間でした。
 わたしたちは、人生の歩みの中でさまざまな困難な状況や受け入ることのできないような現実に直面します。ですが、わたしたちは、復活信仰によって、いかなる困難な状況にあっても、自らのおかれた現実と真正面から向かい合いながら、復活のイエスとの出会いと交わりのうちに、目の前の現実を突き抜けるような希望の地平へと開かれます。
 二年前に突如始まったコロナ禍も三年目を迎えました。わたしたちは、依然として先の見えない状況におかれていますが、復活の主日にあたり、復活のイエスへの信仰を新たにし、復活のイエスとの出会いと交わりのうちに希望をもって力強く歩んでゆきましょう。(『聖書と典礼』2022年4月17日より)

『聖書と典礼』復活の主日 (2022年4月17日)表紙絵解説

バナースペース

オリエンス宗教研究所

〒156-0043
東京都世田谷区松原2-28-5

Tel 03-3322-7601
Fax 03-3325-5322
MAIL