いつにもまして、平和への願いをより強く感じる中で、今年の平和旬間を迎えました。 もちろん毎年のように世界各地で紛争が発生し、近年はテロと、そのテロとの戦いという戦争状態も続いていました。しかし、今年二月のウクライナに対するロシアの武力侵攻は、国際社会からの警告を無視した大国による暴挙として、またネットによる情報拡散のスピードも相まって、世界の多くの人に、戦争の存在をその負の力を持って強烈に認識させました。 すべての国家が共通善のために同意して、歩調を合わせて前進することなどほぼあり得ない現実を、国連創設から今に至るまで目の当たりにしてきました。核兵器がいましも使われるかもしれないというのに、その根絶のための道筋はいくつにも分かたれ、合意は難しいでしょう。 それにもかかわらず、国連の役割に、一縷の望みを託したいのです。なぜならば、私たちは、連帯のうちに生きよと、いのちをあたえられているからに他なりません。創世記二章に、神は互いに助けるものとして私たちのいのちを創造されたと記されています。人間が人間である限り、互いに助け合うことは必定です。だからこその、連帯です。キリスト者としてそう信じるのであれば、私たちは、いのちを暴力的に奪う道ではなく、互いに支え合う連帯の道を歩まざるを得ません。 教皇聖ヨハネ・パウロ二世が、「戦争は人間のしわざです」と宣言された広島での言葉が心に響きます。人間が戦争を生み出すのであれば、戦争を止めるのも人間の業【わざ】です。世界のすべては密接につながっていると教皇フランシスコが強調されるように、武力による対立を生み出すさまざまな要因も、密接につながっています。シングルイシュー(一つの論点)だけで神の秩序は確立できません。神からの賜物であるいのちを守るために、そして、すべてのいのちが互いに助けるものとして生きることができるよう、努力を続けましょう。 『聖書と典礼』年間第20主日 C年(2022年8月14日)表紙絵解説 菊地 功 著『「真の喜び」に出会った人々』(オリエンス宗教研究所刊) |