二〇二二年八月十五日、敗戦から七十七年を迎えますが、長崎でお目にかかった被爆者の方が、「私たちの苦しみの値は、憲法九条です」とおっしゃった言葉が、心に浮かびます。国として非暴力を生きることを決意した憲法九条こそ、殺戮と破壊から学んだ貴重な教訓として、今の世界への力強い呼びかけであると思うのですが、世の中は、ますます暴力の連鎖へと傾いているようです。 教皇フランシスコは、ウクライナに対するロシアの軍事侵攻を厳しく批判しながら、同時にNATO諸国が、軍事的な援助を続けることにも警告を発しておられます。いのちを守る闘いに理解を示しながら、今、イエスに従う私たちが、イエスの非暴力をどのように生きるのかが問われていると感じます。 教皇フランシスコが二〇一七年の平和メッセージで述べられた非暴力への招きを、二〇二二年八月十五日の現実に重ねて祈りたいと思います。「暴力はこの壊れた世界に対する解決策ではありません。地域的、日常的な局面から国際的な秩序に至るまで、非暴力がわたしたちの決断、わたしたちの人間関係、わたしたちの活動、そしてあらゆる種類の政治の特徴となりますように。イエスの真の弟子であることは、非暴力というイエスの提案を受け入れることでもあります。わたしは積極的で創造的な非暴力のもとに行われる平和構築のあらゆる取り組みに、教会が協力することを誓います。わたしたちが自らの思い、ことば、行いから暴力を消し去って非暴力の人となり、自分たちの共通の家を大切にする非暴力的な共同体を築くために、祈りと活動を通して尽力することができますように」(「第五十回「世界平和の日」教皇メッセージ「非暴力、平和を実現するための政治体制」要旨)。 今、世界には、ウクライナだけではなく、三十に近い国々で日常的に殺戮と破壊が続いています。そこには、数字ではない、名前のある、感情のある神の似姿である人びとが生きています。複雑な状況を善悪で裁くのではなく、イエスの非暴力という第三の道が示す対話、和解、平和の歩みをマグニフィカトのマリアとともに祈リます。 『聖書と典礼』聖母の被昇天 (2022年8月15日)表紙絵解説 |