理想の上司といえば、皆様は誰を思い浮かべるでしょうか。有名人や著名人、偉人、あるいは聖人でしょうか。 理想の上司像といえば、「相手の意見や考えに耳を傾けること」、「一人ひとりに丁寧に指導すること」、「厳しく指導するというより、褒めること、評価すること」などがあげられます。今日の聖書の箇所(マルコによる福音6・30-34参照)を読むと、宣教に派遣された弟子たちが、自分たちが行ったことや教えたことを残らずイエス様に報告し、その活躍をねぎらうイエス様の姿が描かれています。「あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」。まさにイエス様は理想の上司ともいえるのではないでしょうか。 弟子たちの活動報告に耳を傾けるイエス様の姿を想像します。自分たちの成果はもちろん、上手くいかなかったこと、中には愚痴や批判の言葉もあったかもしれません。一喜一憂する弟子たちの報告に、注意深く、真剣に耳を傾け、静かにうなずくイエス様。しかも食事をする暇もないことを察し、休息まで与えられます。弟子たちのことをいつも気にかけ、あたたかく見守っておられるイエス様。それは弟子たちのみではなく、集まった群衆に対しても、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、丁寧に寄り添うように話し始められます。弟子たちも群衆も、理想の上司ともいえるイエス様に、その愛情に満ちた接し方を通して、たくさんの癒しと活力と愛を得たことと思います。 一人ひとりの言葉に耳を傾け、思いに寄り添い、思いやりのある言葉をかけられるイエス様、何よりも一人ひとりのことを大切に思い、労わり、励まし、導かれる姿に、誰もが従いたいと思わせてくださいます。そのような理想の上司でもあるイエス様に、私たちは今日、何を語るでしょうか。不平不満も嫌な顔ひとつせずに聞いてくださるイエス様に何をお話ししたいでしょうか。今まさに、飼い主のいない羊のような有様の私たちを、イエス様は愛情深い眼差しで見つめておられます。
『聖書と典礼』年間第16主日 B年 (2024年7月21日) 表紙絵解説 |