八月六日〜十五日の「日本カトリック平和旬間」、今年も広島・長崎を始め各地で平和を考える催しが行われました。何度も過ちを繰り返す人間の愚かさに対して、私たちに何ができるのかを問い直す機会だったと思います。 私は毎年高校二年生と一緒に、沖縄戦で米軍が上陸した読谷【よみたん】から、ひめゆり学徒が最後に追い詰められた南部の荒崎海岸までの約九十キロメートルを三日間、栄養補助食品と水のみで歩くという旅をしています。沖縄戦の体験談、基地問題に関わる方や彫刻家の方などの話を伺いながら、戦跡や慰霊碑を巡ります。 首里にある「養秀【ようしゅう】会館」の資料室には、沖縄戦に動員された沖縄一中の生徒の遺品や手紙などが展示されています。「体を伸ばして眠りたい。きれいな水が飲みたい。死ぬなら即死がいい」。同年代の学徒の三つの願いを前にして、生徒たちは戦争の追体験など不可能なことを思い知らされるのです。楽しそうに那覇空港に集合した生徒たちが、数日後には荒崎海岸の美しい海を前に、平和や命について一人ひとりじっと黙想する……そんな彼らの姿を見るために、私は毎年沖縄に向かうのです。 三年前、出発地点の読谷でテレビ局の取材を受け、昼のニュースで「広島の高校生は明後日、南部の海岸に到着する予定です」と流れたそうです。二日後、手作りのサーターアンダギーと島バナナを差し出して、「ぜひ皆さんで召し上がってください」という方がおられました。時間も場所もわからないけれど必ず「魂魄【こんぱく】の塔」は訪れる……。それを信じてずっと待っておられたそうです。「沖縄の私たちと一緒にお祈りしてくださる若い人たちが、広島から来られたのが嬉しくて……、心強くて……」と握手を求められました。 平和へのあまりにも遠く険しい道のりに、私たちは時折絶望や無力感に苛まれます。しかし世界中の人々が平和を願い、活動し、神に祈りを捧げていることは紛れもない事実です。一緒にお祈りする仲間がいる、そこに一筋の希望の光を見いだしたいと思うのです。 『聖書と典礼』年間第20日B年(2024年8月18日) 表紙絵解説 |