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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年8月18日 年間第20主日 B年 (緑)  
 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、その人を終わりの日に復活させる (ヨハネ6・54)

キリスト
テンペラ画
キプロス アグロス教会  12世紀後半

 きょうの福音朗読箇所はヨハネ6章51-58節。6章22節から始まる大きな流れのいわばクライマックスにもあたる。すなわち、「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」(27節)、「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降(くだ)って来て、世に命を与えるものである」(32-33節)といういわば暗示的な導入の話が、「わたしが命のパンである」(35節)と、イエス自身についての説き明かしへと展開されてきた。
 先週(年間第19主日B年)の福音朗読箇所はその教えの展開であり、その末尾51節では、「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」)と告げられ、ここにおいて、イエス自身についての啓示から聖体についての教えへと転換される。実際、この51節がきょう(年間第20主日B年)の福音朗読箇所の冒頭にもなっており、その主題は聖体についての教えである。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる」(54節)というように、である。35節以降、イエスのことばの中に「わたし」という語が頻出する。「わたしは/わたしが」という表現とともに「わたしの父」という語も目立つ(もちろん、これはこの6章に限らず、ヨハネ福音書の特徴である)。その中で「わたしの肉、わたしの血」という言い方が繰り返されるのがきょうの朗読箇所である。
 このような教えを具象化して描くことは大変難しい。表紙絵は、むしろ、キリスト自身のイコンをもって、きょうの教えを味わうように設定されている。イエスの語る「わたし」と向かい合うためである。実際、ヨハネ福音書も、その独特な文体を通して、聞くものをイエスという方に出会わせようとしていると思われる。
 他の福音書(共観福音書)が地上のイエスを初めて知る人のためにイエスの行いを歴史的に物語っていき、聖体についても、最後の晩餐でイエスが制定された経緯を叙述する。ヨハネ福音書の場合は、最後の晩餐の叙述は13章からあるが、その中で、イエスが聖体を制定したという話は出てこない。聖体の根源はイエス自身の中にすでに初めからあるというのがこの福音書の見方である。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」(ヨハネ1・1)、「言の内に命があった」(1・4)、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(1・14)……このような最初の叙述の中に、この6章で語られる教えの根拠が明らかにされている。「わたしが命のパンである」(6・35)、「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」(6・51)は、1章の内容を「パン」という表象をもって語られているともいえるのである。
 聖体は、イエスの告げる「わたしの肉であり、わたしの血である」が、これは単に三人称的に、客観的な事物のように語られていることではなく、我々に対するメッセージそのものである。すべての人の救いのために遣わされた神の御子、神の言(ことば)である方が、我々に自分自身を差し出ているということであり、それを「食べ、飲む」ことを通して、その命への参加を呼びかけているのである。それが永遠の命に至る道であるというとこである。そのように、我々に決断を迫るメッセージとして「わたしの肉、わたしの血」を語ることのうちに聖体の秘跡についての教えが始まっているのである。
 このヨハネ福音書における「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」という表現は、とても生々しい響きをもっている。永遠の命についての教えが霊的に、あるいは、抽象的に語られるのではなく、人間の生存の根幹にある飲食の行為と結びつけられて語られるというところに、キリスト教における聖体の秘跡のもつユニークな意味合いが鮮やかに示されている。
 このようなことを踏まえて考えると、ミサでの聖体拝領に際して心に覚えるべきは、どのような様相でもよいが、キリスト自身の姿である。美術作品として結晶しているのは、それぞれの時代、それぞれの民族、それぞれの教会で形成され共有されてきた個々の表象としてのキリスト像であろう。表紙絵のイコン画像もその一つの例である。しかし、聖書黙想と信仰的な思索を踏まえたキリスト像には、どれを通しても、聖書のあかしする真理が読み取れる。表紙絵のキリストの眼差しの奥にも、ヨハネ福音書が示すイエス自身の「わたし」についての教えのすべてが響いている。その深さを味わっていこう。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』年間第20主日

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