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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2019年1月6日  主の公現 (白)
わたしたちは東方から王を拝みに来た(福音朗読主題句 マタイ2・2より)

三博士の礼拝  
壁画     
ローマ プリスキラのカタコンベ 2 世紀

 「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた」(マタイ2・11)――東方から来た学者たちが、マリアとイエスに会うことができ、そして、贈り物をささげようとしている光景。カタコンベの壁画でも最も早い時期に描かれた壁画の中に、すでにこのように素朴な、学者たちの礼拝の図がある。以来、全時代を通じて、キリスト教美術のモチーフとして描き続けられるものである。
 地下墓所である暗闇の中に、そこだけ光が降り注いでいるかのように、聖母子と学者たちの姿が浮かび上がる。贈り物の数から学者たちは3人と考えられている。一番前の人の服が緑、3番目の人が白ということ以外、顔や衣装の細かな様子はわからない。それでも、三人の動き、足どり、姿勢にはリズムがあり、大変生き生きとしている。救い主と出会った喜びの律動が伝わる。聖母子にしても、幼子の姿がかすかに輪郭を描いているように見えるだけで、鮮明ではない。あたかも影絵のよう。おぼろげな絵を見つつ、聖書の叙述を味わっていくことにしよう。
 福音朗読箇所であるマタイ2章1−12節を見ると、もちろん、クライマックスは、11節、学者たちが幼子を拝み、贈り物を献げるところにあるが、叙述全体のもつ展望は、実に広い。その柱は、預言どおり、メシア(救い主)がベツレヘムで生まれたということにある。ベツレヘムはダビデ王の出身地。ダビデの系統から救い主の誕生という預言が根底にあって救い主が神の民「イスラエルの牧者」であることが示される(5−6節参照)。このことは、ユダヤの王ヘロデを不安にさせ、彼がいろいろと探りを入れてくるというところに叙述の綾がある。この不安が、学者たちの帰り道の変更(12節)の背景となる。そのことは、朗読箇所の後の話になるが、聖家族のエジプトへの避難(13−15節)、ヘロデ王の子供たちの虐殺(16−18節)の伏線となる。救い主は神の民イスラエルの真の王として来られるという預言の実現をめぐるこうした出来事は、さらに、もっと広い展望に置かれている。それを示すのは、東の方から来た占星術の学者たちである。学者たちを意味する原語はマゴイで、ペルシアのゾロアスター教の祭司階級マギに由来し、ここでは天体観測と占星術の専門家として登場する。彼らの旅路、そして幼子礼拝に関する叙述の中で、救い主の輝きがイスラエル民族−ユダヤ人という枠を超えて他民族(異邦人)にも及び、さらに占星術を信奉する宗教心が、神の御子イエスを礼拝する信仰へと導かれていくさまが印象深く物語られる。
 それを導くのが「星」である。星を信じて、それに仕えていた学者たちがその星に導かれて幼子のところまで来たというところには、占星術信心に対しても否定的でなく、星さえも、神の被造物としてここでは、神に導く役割を果たしているともいえる。このような叙述のもつ展望は広大で、ユダヤの国の王や祭司長たちや律法学者たち(4節)のような一つの民族の支配体制にある人の狭い思惑の世界を超えている。イエスが救い主、イスラエルの牧者であるという意味は、この国の内部のことに尽きないもっと広い意味をもっていることを示すのが東方の学者たちの存在とその礼拝である。
 こうしたマタイの叙述から、神の「秘められた計画」(第2朗読、エフェソ3・3b 参照)の深さ、広大さを感じずにはいられない。イザヤの預言(第1朗読)がエルサレムの上に輝く光について、力強く告げることばもまた豊かな示唆を与え、核心をついている。「国々はあなた(=エルサレム)を照らす光に向かい、王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む」(イザヤ60・3)。全世界に幼子となって生まれた主の栄光が輝き、万民が主を礼拝するようになる、……救いの普遍的な現れ(エピファニア)を祝う「主の公現」の祭日の喜びと希望は、現代の世界においてあらためて切実な意味をもってくるのではないか。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

 博士たちの礼拝の場面では、生まれた時から命の危機にさらされたモーセとイエスの類似性を示す。ここには新しいモーセとしてのイエスを提示するマタイ福音書全体の主題と整合性がある。
和田幹男 著 『主日の聖書を読む―典礼暦に沿って【C年】』「主の公現」 本文より



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