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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2019年4月21日  復活の主日 (白)
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った(ヨハネ20・1より)

復活したイエスとマグダラのマリア
モザイク
パレルモ モンレアーレ大聖堂 12世紀

 週の初めの日、朝早く……厳かにキリストの復活体験が語られ始める。それは、我々の主日礼拝の起源でもある。復活の主日・日中のミサの福音朗読では、毎年、ヨハネ福音書20章1-9節が読まれる(各年の復活徹夜祭の福音を朗読することも可能)。ヨハネの朗読箇所は、「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った」とマグダラのマリアが単独で行ったと述べる。それに対して、マタイでは、「マグダラのマリアともう一人のマリア」(28・1)、マルコでは「マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ」(16・1)と複数の女性の名が挙げられている。ルカでは「婦人たち」(23・55)が墓に行ったことがまず述べられ、あとで、彼女たちは「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった」(24・10)と述べられる。これらを見ると、まず女性たちが墓に行き、天使からイエスの復活を最初に告げられること、複数の女性たちのことを記すマタイでも、マルコ、ルカいずれでも必ずマグダラのマリアが筆頭に挙げられていることがわかる。マグダラのマリアのほかにマルコとルカで名前が上がっているのがヤコブの母マリアである。
 表紙に掲げたモンレアーレ大聖堂のこのモザイクはマルコ、ルカが伝えるヤコブの(母)マリアを描いている。福音書全体を見渡して描き方を考えている。ヨハネ20章11-18節が伝える復活したイエスがマグダラのマリアに現れて、ことばを交わし合う場面は、17節のイエスのことば「わたしにすがりつくのはよしなさい」から、そのラテン語「ノリ・メ・タンジェレ」を画題とするものである。
 さて、きょうの箇所では、マグダラのマリアが単独で墓に行き、石が取りのけられて墓が開いているのを見て、ペトロとヨハネ(「イエスが愛しておられたもう一人の弟子」ヨハネ20・2 参照)に走って行って知らせるというところが最初のポイントである。ヨハネ福音書におけるマグダラのマリアの強調を見ると、マグダラのマリアという女性への崇敬が始まっているらしいことが感じられる。
 それとともにヨハネ福音書は、復活したイエスとマグダラのマリアとの対話、そして復活節第2主日の福音朗読箇所となっているヨハネ20章19-31節の後半では、トマスとの対話を克明に記している。それらはともに我々のイエスとの出会いへのいわば導きとなっている。ちなみに、2016年から7月22日の「マグダラの聖マリアの記念日」は昇格して「祝日」として祝われることになった。このことを定める典礼秘跡省の教令(2016年6 月3 日付)では、教会が西方でも東方でも「主の復活の最初の証人であり最初に福音を告げた者である」として最高の敬意をもって崇められてきたことを述べている。
 したがって、きょうの福音朗読箇所ではないが復活の火曜日や7 月22日のマグダラの聖マリアの祝日に読まれるヨハネ20章11-18節も併せて味わっていただきたい。この場面を描く美術は中世から見られるが、多くの絵が、このモザイクのように「わたしにすがりつくのはよしなさい」と言うイエスの姿は、マリアのほうに進もうとしているのではなく、反対側のほうに向かっている。イエスのほうが別の方向に向かいながら、半身振り向いて、マリアに語りかけるという構図である。それがこれから父のところへ上ろうとしていることを示すものとなっていると考えられる。このモザイクもその描法をとっているが、なんといっても、イエスとマグダラのマリアの描写が細やかである。マグダラのマリアがひざまずいて両手を上げて、しかも動かしているように見える。イエスの祝福のしぐさとして伸ばされているような右手。園丁だと思った人が対話をしているうちに、この方が父である神のもとに上っていこうとしている主であることを、マリアはようやく最後に悟る。しかし聖書は悟ったことでは終わらせない。かならず「わたしは主を見ました」と弟子たちのところに告げに行くのである。きょうの福音朗読箇所における最初にイエスの墓に行ったマグダラのマリアは、最初の主の復活を告げる人となった。トマス・アクイナスが「使徒の中の使徒」と尊称したとおりである。
 ミサで「信仰の神秘」と告げられるとき、彼女の存在と働きに思いをはせてもよいだろう。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

これまで見たように、キリスト教における暦文化は、主の死と復活の秘義を毎週、そして毎年、記念していこうという動機から生まれた。その母胎となったのは、旧約以来の祝祭暦と安息日の制度である。イスラエル人は、神の民としての自覚を持ち、神による救いのわざ、とりわけエジプト人からの脱出(過越)やシナイでの契約を記念し、その恩恵を忘れないようにと、いくつかの祝祭と安息日を守っていた。それは律法の重要な一部でもあったのである。
土屋吉正 著 『暦とキリスト教』「第四章 キリスト紀元と教会暦 第三節 教会暦の形成」本文より

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