2019年6月09日 聖霊降臨の主日 C年 (赤) |
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると(使徒言行録2・1より) 聖霊降臨 詩編書挿絵 スイス チューリヒ中央図書館 1250年頃 聖霊降臨の出来事を描く中世の聖書写本画は、聖霊を受けるのが使徒たちだけの集団の場合と、その中央にマリアがいる場合に大別される。きょうの詩編書挿絵の聖霊降臨図は前者である。ペトロを中心とする使徒たちの上に聖霊が降る光景を描くものである。 聖霊降臨と呼ばれる出来事を伝えるのはきょうの第1朗読箇所である使徒言行録2章1-11節。背景説明として1章12-26節も重要である。使徒たちはエルサレムに戻ってきて、ある家に泊まっていた中、ユダが抜けて11人になっていた使徒団の中にマティアが選ばれて加えられたエピソードが前提にある。ここを踏まえると使徒は再び十二使徒となったことになるが、表紙絵ではペトロを中心に両側に左右対称的に5人ずつ、合計11人である。使徒言行録1章後半で語られることとは対応しない。しかし、聖霊降臨を描く作品には使徒を11人として描くものも12人を描くものも両方あり、そもそも多様である。使徒たちのいる空間の背後に城壁・建物といったものが見えるが、彼らがいるエルサレムを暗示するものである。 さて、使徒言行録は「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人ひとりの上にとどまった」(2・2-3)と物語る。音響的なこと(激しい風のような音)と視覚的なこと(炎のような舌)の両面から、聖霊の降る様子が述べられる。絵ではもちろん音は表現できず、「炎のような舌」を描くことで対応している。それが聖霊であることは、中央のペトロの頭上に小さく上から下に向かう白い鳩が示す。鳩というしるしは、イエスの洗礼に関する叙述(マルコ1・10;マタイ3・16;ルカ3・22)に由来し、今に至るまで伝統となっている。「炎のような舌」がペトロをはじめ使徒たちの頭上に示されるが、聖霊降臨というダイナミックな出来事に対して、この絵は、静かにすべてが収まっている感がある。使徒たちの顔は、かなりパターン化しているが、全員の表情、とくに目がはっきりと浮かび上がってくるのも不思議である。 この絵の場合、なによりも目立つのは中央に座しているペトロである。右手が自分のほうに向かっている以外は、左手では本を抱えるなど、玉座にいる荘厳なキリストを描く図と似ている。ペトロがこれほどに強調されているのは、聖霊降臨の出来事のあと、ペトロが使徒を代表してキリストについてのあかしの説教をすること(使徒言行録2・14-36)を意識しているのだろう。いずれにしても、ここで描かれている使徒たちの姿は、教会そのものを象徴している。そう考えると、エルサレムを示す奥の建造物が神の国の象徴としても見えてくる。キリストはすでに昇天し、御父と御子キリストの存在は白い鳩である聖霊の彼方に隠れている。しかし、その鳩、すなわち聖霊から「舌」(宣教能力)が使徒たちに与えられ、彼らはやがて、外に向かって出かけていくことになる。場面は静かだが、それは、これから始まるダイナミックな宣教の一瞬前の光景なのであろう。一同が「“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(使徒言行録2・4)のはこのあとである。 さて、この聖霊降臨図で、印象に残る色は何だろうか。真っ先に飛び込むのは城壁や使徒たちの内衣に配されている紺色だろう。次に使徒たちの外衣で使われている赤紫。ペトロの座の一部に配されている緑色も目にとまる。しかし、もう一つ重要なのはペトロの両側、使徒たちの頭上に見えるこの空間の色である金色である。いうまでもなく神の栄光の充満を示す。神の国の色といってもよい。ちなみに、使徒言行録のここの叙述にはこんな表現が目立つ。「家中に響いた」(2節)「一同は聖霊に満たされ」(4節)、「だれもかれも、……あっけにとられてしまった」(6節)など。このようないわば充満表現は、神の国の完成を予告する完成予告表現でもある。世界の片隅の一つの町で始まったことが全世界へ広がっていくという方向性でイメージされる宣教だが、そもそもは、神におけるいのちの充満が、地上世界と全人類を巻き込みながら、再びその充満に帰一するまでの旅であることを考えてみよう。金色のもつ意味はそれほどに深い。 |