2020年1月19日 年間第2主日 A年 (緑) |
「”霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た」(ヨハネ1・32より) イエスの洗礼 アトス パンテレイモノス修道院の朗読福音書挿絵 11世紀末 アトスの港ダフニに近い湾沿いにあるパンテレイモノス修道院は、ロシア人修道士の修道院で、殉教者である治癒者パンタレオン(305年頃殉教)に献堂された聖堂を有する。聖人として崇敬されるパンテレイモンはニコメディアの侍医で、ディオクレティアヌス帝の迫害期に拷問を受けて斬首された。同修道院は、10世紀から15世紀のビザンティン時代の写本を多数所蔵する図書館で知られており、1968年10月大火災があったが、美術史的にも価値の高い作品群は幸い被害を免れたという。この朗読福音書はそのうちの一つで、コンスタンティノポリスで作られたものとされる。今回は、そのイエスの洗礼の場面を描く挿絵を掲げている。 ところで、年間第2主日は聖書朗読配分としてユニークな日である。三年周期の特徴となるA年マタイ、B年マルコ、C年ルカの各福音書の朗読が始まるのは、年間第3主日からで、第2主日はどの年もヨハネ福音書である。A年=1・29-34 (神の小羊)、B年=1・35-42 (最初の弟子)、C年=2・1-11(カナの婚礼)。こうして、イエスが神の小羊であり(A年、B年)、“霊”がとどまるところの神の子であり(A年)、みずからの栄光を現す方である(C年)。これらの主題は、年間第2主日が降誕節と年間との移行点に位置することをよく示している。このことについて『朗読聖書の緒言』も言及する。「年間第2主日の福音は、伝統的なカナの婚宴の箇所と、同じヨハネ福音書の他の二つの箇所によって、公現の祭日に祝った主の顕現との関連が保たれている」(105 項)。 A年のきょうの福音朗読箇所であるヨハネ 1章29-34節では、洗礼者ヨハネがイエスの登場に対して「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(29節)とあかしするとともに、彼が水の洗礼をイエスに授けた際に、「”霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまる」(32節)のを見たことで、彼が救い主、聖霊で洗礼を授ける方であることをあかしする人となっている。その関連で、前の週と2回続きになるが、イエスの洗礼の図を鑑賞することした。 イエスの洗礼の図は、ごく初期にはイエスと洗礼者ヨハネを描くだけだったが、5、6世紀以降、新たな要素が加わる。中央のイエスを挟んで洗礼者ヨハネの反対側に天使(数は多様)がイエスに着せる衣を準備している。それから、ヨルダン川が人格化されて老人や古代諸宗教で信じられていた川の神として描かれる。洗礼者ヨハネは水をかけるのではなく、按手(あんしゅ)する姿勢をとる。さらに9-10世紀以降、ビザンティン・イコンでは、イエスが肩の高さまで水の中に立っているように描かれるのが特徴となる。そして、その上に聖霊が天から降ることを表すために鳩が描かれる。聖霊を注ぎだす父なる神の存在は伝統的な「神の手」で描かれることもあったが、ここでは神の栄光を意味する二層の青い半円の一部として示される。このようにして洗礼を通して人間としてイエス(裸の体)は水に浸ると同時に、天から降る聖霊で満たされる。 加えてここで注目しておきたいのは鳩がオリーブの葉を咥(くわ)えているところである。いうまでもなくノアの洪水を思い起こさせる要素である(創世記6~8章参照)。ノアの洪水は古来、洗礼の秘跡の前表(予型)と考えられてきた。現在の儀式者は洗礼水の祝福(第一形式)に「(あなたは)ノアの洪水の時、水をあふれさせて、罪の終わりと新しいいのちの始まりである洗礼のかたどりとしてくださいました」と祈る。ここでイエスの洗礼に関してノアの洪水が思い起こされるとすれば、この水の中のイエスの体には十字架に上げられる体、そして復活の体を見てもよいということになろう。全身が浸る水は埋葬(死)の象徴であると同時に復活の象徴でもある。 天の父なる神とイエスを結ぶ聖霊の注ぎを示す線は、我々のささげるミサをも貫く線であることに注目しよう。ミサは三位一体の神に包まれている。その中で「神の小羊、世の罪を除きたもう主よ……」という平和の賛歌が、イエスの生涯、その死と復活を要約し、聖体におられるキリストへの信仰告白となっている。 |