2020年4月12日 復活の主日 (白) |
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに…… (ヨハネ20・1より) 主の復活を告げる天使 ライヘナウの朗読福音書挿絵 ドイツ ヴォルフェンビュッテル図書館 11世紀初め ライヘナウとはドイツとオーストリア、スイスの国境にあるボーデン湖畔にあるベネディクト修道院の通称で、きょうの表紙絵はここで、11世紀の初め、ほぼ1000年に近い頃に造られた朗読福音書の挿絵である。 表紙作品は、イエスの墓を訪ねた女性たちに天使がイエスの復活を告げる場面である。この出来事を述べる三つの共観福音書の箇所(マタイ28・1-10;マルコ16:1-8;ルカ24・1-12)が復活徹夜祭のそれぞれA年・B年・C年で読まれる(復活の主日の日中のミサではヨハネ20・1-20が指定されるが、各年の共観福音書の箇所も読むことができる)。これらの箇所の中で「マグダラのマリアともう一人のマリア」に言及するマタイの箇所にこの絵は基本的に対応している。復活を告げる方も「主の天使」と単数で述べられていることも対応している。前に出て天使と向かい合っているのが、どの福音書にも登場するマグダラのマリアである。 まず全体の配色に注目したい。全体の基調となっているのが濃淡のある水色。そして、緑(床)、金色(天使とマグダラの前の背景)、青み・赤みと分けられている紫色(天使の翼、柱、アーチ、マグダラのマリアの外衣)、オレンジ色(屋根)、白金色(天使の衣)などが印象深い。これらの色彩をとおして、主の復活のもつ豊かな意味合いが表現されている。それは同時に復活祭の喜び、味わいにもつながる。 マグダラのマリアは香料の壺を抱えている(香料についての言及はマルコ16・1;ルカ24・1)。このような物を持って、イエスの墓に来たという行為は、埋葬のあと、石が閉じられても残って、墓のほうに向いていたという二人の女性の態度(マタイ27・61)と対応し、この女性たちの悲嘆が想像される。マグダラのマリアの外衣は赤紫色で、これは当時の写本画では、イエスの衣の色である。ここでは、イエスの墓もその色になっている。この色は、イエスにおいて体現されている神の支配権、主権のしるしと考えられる。 もちろんそれは、神のいつくしみと愛が人間に及ぶという意味である。その色を既にマグダラのマリアがまとっている。彼女はいわばすでにキリストの色に染まっているのである。復活したイエス・キリストの反映が既にある。マリアがイエスを敬い、慕う態度においてイエスの存在の写しになっているともいえる。天使のお告げを受けている女性たち、ときにマグダラのマリアは緑色の床に踏み込んでいる。緑は草・葉の連想からいのちの色となっている。この場合は、イエスの復活によって決定的に開かれた新しい、永遠のいのちの意味があろう。墓に来た二人は永遠のいのちに踏み込んだ最初の人たちとなっている。建物の内部に見える空間の背後(マグダラのマリアと主の天使を後ろから示す背景の色が金色である。神のいのちの輝き(栄光)の表現があることによって、天使と女性たちの姿が鮮やかに浮かび上がっている。 天使はその大きな姿によって人間以上の存在であること、使者としての権威が杖と白金色の衣、背中の翼によって示される。まさしく天からの使者であることがよく表現されている。「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」(マタイ28・6)と告げるその表情は、しかし、明るい。右手の指は「急いで行って弟子たちこう告げなさい……」(7節)と命じている。それを受けるマリアの顔は神妙でありつつも喜びが感じられる。「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び」(8節)という叙述をよく表している。マリアが下のほうから差し出す右手は、天使の右手の意味するものをしっかりと受け取ろうとしている。復活の宣教の使命が彼女に託され、そして始まっていく。 上のアーチも赤紫ですでに神の支配が全体に及んでいることを感じさせる。赤系の明るい色であるオレンジ色をした屋根も神の国のしるしなのではないだろうか。そして、上のかなたは二段階の水色(空色)である。人の洗礼の水を受け、聖霊を受けて新たにされる、そんな意味合いを感じてみたい。新しいいのちの喜びを感じさせる新しい礼拝の門のような絵といえるのではないだろうか。 |