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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年01月01日  神の母聖マリア  (白)  
神はその御子を女から生まれた者としてお遣わしになった (第二朗読主題句 ガラテヤ4・4より)

栄光の聖母  
テンペラ画 ジョット作 
フィレンツェ ウフィツィ美術館 1310頃

 ジョットの描く聖母子である。13~14世紀 イタリア、トスカーナ地方の諸都市(シエナ、フィレンツェ)で盛んになった聖母子像は一般に「マエスタ」と呼ばれる。栄光の座に聖母が御子イエスとともに座す姿を中心に、天使や聖人たちが配される型の図で、「栄光の聖母」「荘厳の聖母」と紹介されたり、「玉座の聖母子」と紹介されたりする。もともとは、主の公現に記念される三博士の礼拝の図から、聖母子の部分が独立したもので、4世紀頃にすでに玉座の聖母子の図が生まれている。イコンに見られる聖母子像の影響もある。
 この作品でも、マリアも幼子イエスも、正面を向いているところに特徴があり、神の御子の威厳とともに、母マリアの聖なる姿がはっきりと示されている図といってもよい。幼子イエスに対する信仰心は降誕図や聖母子像を通して古代のキリスト教美術の初期から表現されていくが、それとともに中世を通して聖母マリアへの崇敬がさらに高まっていた動向もよく感じられる。聖母の表情の厳粛さ、幼子の小さいながらも峻厳な姿が印象深い。
 この作品とともに、きょうの神の母聖マリアの祭日の意味を聖書朗読の内容とともに味わってみよう。
 神の母聖マリアの祭日には、さまざまな意味合いが含まれている。典礼暦の中で際立っているのは、12月25日の主の降誕から八日目であることである。きょうの福音朗読箇所ルカ2章16-21節の中で「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた」(ルカ2・21)とある。「神は救う」を意味する「イエス」という名付けは、「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」(ルカ1・31)という天使からのマリアへのお告げの中で約束されていた。男の子を身ごもって産むことも神の計画であり、その子をイエスと名付けることも神がマリアに命じたことであった。「幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である」(ルカ2・21)という受動態で叙述される中、マリアの名は一つも言及されていない。しかし、そこでマリアはしっかりと役目を果たしている。神の計画通り、そして、マリア自身が「お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1・38)と答えた通り、神の意志に従って「イエス」と名付けたのである。そのことがマリアの能動的行為としてではなく、受動態表現で神の計画の実現として語られており、そのようなかたちでこの出来事の中に、マリアの存在が秘められていることが重要であろう。教会は、しかし、そこをしっかりと見つめていく。明確な言葉ではわずかしか言及されていないマリアの姿を深く追想し、厚く崇敬するようになったのである。
 教会は、「すべて心に納めて、思い巡らしていた」(ルカ2・19)マリアの心をともにしながら、イエスの誕生の出来事を記念する。第2朗読箇所(ガラテヤ4・4-7)の冒頭「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました」(ガラテヤ4・4)と告げられる、主の地上での生涯の始まりに思いを向けるべきであろう。
 このようにして、1月1日はイエスの生涯にとっての記念すべき日であるとともに、マリア崇敬にとっても大切な日となる。ローマ典礼の中で最初のマリアの祭日であり、やがて、上述の引用の箇所にある通り、イエスの割礼の出来事の言及をもとに、「主の割礼の祝日」という位置づけがなされ、第2バチカン公会議後の刷新前まで、その形で続いてきた。現在は、古来の伝統に立ち返ってマリアの祭日として復興され、その中でも「イエス」の命名の意義にも目が向けられる。こうして、降誕の八日目、神の母聖マリアの祭日には「イエスの聖なる名前の命名をも合わせて記念する」とされているのである(『典礼暦年と典礼暦年に関する一般原則』35ヘ 参照)。
 このような命名の意味を、旧約の歴史から考えさせてくれるのが、第1朗読箇所=民数記6章22-27 節の最後の文言である。「彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう」(27節)。アロンとその子ら、すなわち祭司たちが主の御名を唱える祈りを通して、主である神から祝福が注がれるという神の民に対する約束が語られている。このような祝福、恵み、平安(平和)は、今、新しい契約の神の民においては、主イエス・キリストの御名のもと、そして、父と子と聖霊の御名のもとに与えられている。このことに対する信仰を、我々は、「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン」や「わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン」という祈りに際しての文言によって絶えず示し続けている。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

聖なる平等
 ルカの福音書を読んでいると、「貧しい人」と「金持ち」の対比が浮き彫りになっていることに気づきます。ルカは、神が、貧しさの内にこそ平等の神の国をもたらし、イエスご自身がその神の国の到来であるということを主張しているのではないでしょうか。
 冒頭の、マリアの賛歌は、その序章でしょう。
 
 主はその腕で力を振るい、
 思い上がる者を打ち散らし、
 権力ある者をその座から引き降ろし、
 身分の低い者を高く上げ、
 飢えた人を良い物で満たし、
 富める者を空腹のまま追い返されます(同1・51-53)


晴佐久昌英『福音家族』「7 聖なる家族」本文より

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