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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年04月25日  復活節第4主日  B年(白)  
わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている(ヨハネ10・14より)

良い羊飼い    
フレスコ画  
カリストのカタコンベ 3世紀

 「良い羊飼い」は、造形芸術として描かれる最初のキリスト像の代表の一つであり、カタコンベや石棺彫刻がきわめて頻繁に描かれてきた。その場合、羊飼いの姿には、とりたててキリストを示す特別な要素はなく、あくまで、ローマ時代の社会に存在したであろう普通の羊飼いの姿が描写されている。表紙絵の羊飼いはスラッとした美しい青年の容姿だが、無骨な壮年として造形される場合もしばしばである。
 キリスト教的な意味で「羊飼いキリスト」が造形される以前には、死者の魂を冥界へと導くギリシアの神ヘルメスが、羊を肩に担ぐ羊飼いのイメージで描かれるという伝統が既にあった。逆に、このような前例があったところに、自らを「良い羊飼い」として啓示するイエスの姿が重ね合わされ、キリスト者の魂の憩いを祈る地下墓所カタコンベや石棺にその姿が描かれることになったのであろう。このように、古代諸宗教にあるイメージがキリスト教信仰の中に取り込まれ、新しい意味合いと形象をもつようになったことを示す典型的な事例が「良い羊飼い」の絵なのである。
 さて、復活節第4主日ではヨハネ10章が毎年朗読されるが、B年の箇所10章11-18節では、イエスが直接自分のことを「良い羊飼い」と語り出す(11、14節)。自分の命を「捨てる」(原語は「置く」)という語の繰り返しが強く印象づけられるが(11、15、17、18節)、それとともに、羊たち、とくに、囲いに入ってこない羊たちをも「導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一つの羊飼いに導かれ、一つの群れになる」(ヨハネ16節)ということばも印象深い。
 一つには、ここで、イエスが自らの命をささげる目的が、すべての羊を導き、一つの群れとすることにあるという使命の自覚が示されている。その背景には、神と神の民との関係が羊飼い(牧者)と羊の群れの関係に譬えられる旧約聖書の伝統がある。「主はわれらの牧者」と歌う詩編23・1(新共同訳「主は羊飼い」)をはじめ、「主はわたしたちの神、わたしたちは主の民、主に養われる群れ、御手の内にある羊」(詩編95・7 )、「神は御自分の民を羊のように導き出し、荒れ野で家畜の群れのように導かれた」(詩編78・52)と、主が暗黙のうちに羊飼いに譬えられている。そして、民は、主に「イスラエルを養う方、ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ」(詩編80・2)と呼びかけ、「わたしたちはあなたの民、あなたに養われる羊の群れ」(詩編79・13)と全面的な信頼を告げる。
 主である神は、自ら直接導くだけでなく、僕(しもべ)を通しても群れを導く。「あなたはモーセとアロンの手をとおして羊の群れのように御自分の民を導かれました」(詩編77・21)。主は「僕ダビデを選び……御自分の民ヤコブを、御自分の嗣業イスラエルを養う者とされた」(詩編78・70-71)と語られるとおりである。しかし、その後の王たちが牧者の使命に忠実でなくなると、預言者を通して神は叱責する。「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」(エレミヤ23・1)。そして、主は「このわたしが、群れの残った羊を……集め、もとの牧場に帰らせる」(同23・3)と、自ら羊飼いの役割を担うと語るとともに「彼らを牧する牧者をわたしは立てる」(同23・4)と、将来、良い牧者が出現することを約束する(エゼキエル34章も参照)。このあたりの預言がヨハネ10章の前提にある。イエスが自らの命を捨てることによって、「羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」(16節)と、神の民の回復が予告され、さらに「囲いに入っていないほかの羊」(16節)、すなわち、多民族、全人類にも、その導きが及ぶことが暗示される。「羊飼い」というキリスト像には、これほど壮大な救済史、そして神の計画が含まれているのである。
 このカタコンベの絵では、羊を肩に担ぐ羊飼いだけでなく、さりげなく、脇に草木や他の羊たちも描かれている。「死後の魂の平安」の場所、すなわち楽園のイメージがたしかにある。しかし、それは個人の希求にとどまらず、全人類が本来のあり方に連れ戻されるという希望の図であるといえるだろう。質素な描写の中にも、羊飼いの脇には、草木が生い茂り、そして他の羊もそこにいる。楽園の暗示は、単に死後の魂の安寧の願いだけではなく、全人類の究極の救いへの希求をも含んでいるものとして味わいたい。
とかく指導者というと、地上世界での導きという意味で考えてしまいやすいが、主の導きは、生者だけではなく、死者をも含めての広大無辺ないのちのつながりをも包んでいる。我々がミサで出会う主イエス・キリストと、そして御父である神とは、そのような意味での「世々に生き、支配しておられる方」(集会祈願の結びの文言)である。「良い羊飼い」がイメージさせるのは、究極的には全能永遠のいつくしみ深い神にほからならない。ミサを通して、我々は、いつも、その存在に触れ、交わっている。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

キリストを知らない人の救いの可能性
 復活なさったイエス・キリストは、今や時間と場所という制約を超えた存在となられ、すべての人、すべての場所で、人々の救いと世界の刷新のために働いておられます。キリストの働きは聖霊の働きを通して行われます。聖霊はいつでもどこでも働くことができます。
 既に述べたように第二バチカン公会議の『教会憲章』や『現代世界憲章』は、神はキリストを信じない人に対しても、神だけが知っておられる方法によって救いの可能性を提供されると教えています。


岡田武夫 著『希望のしるし――旅路の支え、励まし、喜び』「第5章 宗教と寛容」本文より

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