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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年08月15日  聖母の被昇天  (白)  
いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう(ルカ1・48より)

神の母の眠り  
ロシア・イコン 
個人蔵 16世紀

 聖母の被昇天の祭日に、イコン伝統の「神の母の眠り」を観賞することはとても意味深い。なによりも、死の床に横たわるマリアのところにキリストが立ち、その魂と体を意味する白い小さなマリアを手に抱えているという描き方のうちに、マリアの生涯の完成のイメージが、厳かに、かつ愛らしく表現されているからである。以下、事典的な確認になるが、重要なことなので記しておこう(この日の『聖書と典礼』8ページでも簡単に紹介している)。「被昇天」と訳されるラテン語はアスンプシオで、文字どおりには「取り上げられること」を意味する。ここから、生涯を終えたマリアが神によって受け入れられ、神のもとに上げられたことをいうことになり、その意味で、天に上げられたこと、つまり被昇天と訳されている。
 聖母の被昇天の祭日としての起源は東方にある。東方教会では8月15日に、マリアが死の眠りについたことを記念する祝日があった。御眠りはギリシア語で「コイメーシス」という。しかし、マリアが死の眠りに就くことは、すなわち、神に全面的に受け入れられたという理解のもと、神に「取り上げられること」を意味する「アナレープシス」というギリシア語で表されるようになった。この祝日が西方に入ってきたときに、当初は、死の眠り(就寝)を指すラテン語の「ドルミティオ」で呼ばれていた。やがて、天に上げられたことを指す「アナレープシス」との名称と理解が伝わってくると、そのラテン語として「アスンプシオ」と呼ばれるようになり、現代に至る。1950年にマリアの被昇天が信ずべき事柄つまり教理として宣言されたときに明確化されたのは、マリアが体も魂もともに天の栄光に上げられたという点にあった。「全能永遠の神よ、あなたは、御ひとり子の母、汚れのないおとめマリアを、体も魂も、ともに天の栄光に上げられました」と、この日の集会祈願が告げる通りである。
 このような経緯をもつ祭日であるので、やはり「神の母の眠り」のイコンは、重要である。このようなタイプの聖画像が登場したのは11世紀頃で、すでに、臨終の床に横たわるマリア、マリアの魂を取り上げるキリスト、周りの使徒たち、天使たちという基本型が定着する。後には、さらにキリストの頭上に天にあげられつつあるマリアの姿が描かれるものも出てくる。
 きょうのイコンの場合は、全体が背景の色も含めて、神の栄光のイメージである金色で満ちているところが天上の次元、神の次元の趣として印象深い。キリストの姿の光背は、緑色の濃淡を伴って幾重にも深まっていく。そこにキリストの神秘が現されていると言えよう。キリストの頭上にいるのは、イザヤ6章などで「聖なるかな」と神を賛美するセラフィムであって、これもキリストのいる次元の聖性を強調している。
 床にいて既に死んでいるマリアの姿は、白い布の上でくっきりと目立たされる。その同じ白がイエスに抱かれる小さなマリアの姿になっている。ここから、この白のうちにキリストとともに生きた母の死と復活、地上の命の終焉と、天上の命の始まりが含蓄されていることに気づかされる。眠りの床にいるマリアの頭のほうにいる使徒たちの一番手前にいるのがペトロ(献香をしている)、足元で身をかがめているのがパウロ(頭が特徴的)であろう。他の使徒たちも集う一群の背後には、十字架の模様が入ったオモフォリオン(肩衣)をまとった主教たちもおり、後ろには女性たちがいる。その姿勢と表情は、マリアへの深い敬愛の気持ちであふれている。われわれもそれを眺めているだけで、聖母への崇敬へと引き込まれる。
 構図全体を通して、人間の次元が横(水平のライン)、神の次元が縦(垂直のライン)で交わっている。また背景には建物で示される地上の世界の真ん中に、神の次元(キリストの光背に包まれる姿)が、その中に突如、現出しているようでもある。ここにも、いつもともにいるキリストの神秘がある。このような神と人、天と地の交わる光景に、イコンのもつ深みがある。
 奉献文の取り次ぎの祈りのところで常に筆頭に名を告げられるマリアは、今、天上の教会の中心にいる。そのマリアの天におけるいのちの始まりを祝う、被昇天の祭日は、聖母を自らの目指す姿として仰ぐ教会(『教会憲章』53参照)、すなわち我々の生き方を顧み、黙想する日となる。きょうの聖書朗読=第1朗読の黙示録(11・19a 、12・1-6、10ab) 、第2朗読の一コリント書(15・20-27a)、福音朗読のルカ(1・39-56)を通じて思いを巡らせよう。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

十字架のもとに立つ聖母マリア
使徒言行録もまた、母マリアが弟子たちとともに熱心に祈っていたことを伝えている(1・14参照)。聖母マリアは自らの痛みと悲しみに閉じこもってしまわなかった。むしろ、その痛みや悲しみをもって、弟子たちの交わりを生きた。そこに、自らを開き、自身の悲しみや傷を他者への共感とつながりの源としていった、愛する人の姿を思い描くことができる。

武田なほみ 著『人を生かす神の知恵──祈りとともに歩む人生の四季』「15 悲しみと神秘」本文より

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