2021年11月28日 待降節第1主日 C年(紫) |
あなたがたの解放の時は近い(福音朗読主題句 ルカ21・28より) 天使と預言者に囲まれる全能のキリスト 円蓋モザイク パレルモ パラティーナ礼拝堂 12世紀半ば 表紙に掲げられているのは、この礼拝堂の内陣の上の円蓋に描かれたモザイクである。真下から見て最も高い中心に全能者(パントクラートル)であるキリストが描かれている。イコンでも知られるキリスト像そのもので、左手に書を抱え、右手は権能と祝福を示すしぐさをしている。その周りに記されているギリシア語は、イザヤ書66章1節「主はこう言われる。『天はわたしの王座、地はわが足台』」(使徒言行録7・49でも引用される文言)を踏まえた文言。「主」とあるところが「全能の主」と書かれ、全能者すなわち、すべてを支配する主であるキリストのことが強調されている。 この主キリストの姿の周囲には、天使が8位、描かれている。円形も「8」という数も、キリスト教的な「完全さ」の象徴にほかならない。この主と天使の円の外側の四角の壁の四隅の角に描かれている4人の福音記者である。その間、壁面に全身像で4人の預言者が描かれている。ただし、この見方で、右側に描かれているのは、洗礼者ヨハネである。イエスに先立つ預言者のうちの最後の預言者という位置づけで洗礼者ヨハネが位置づけられていることがわかる。すると他の預言者は、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルとなるだろう。それぞれ羊皮紙のようなものに書かれた文字を示している。これら4福音書と4預言者の間、内部の円との小さな隙間に描かれている胸像図はさらに他の8人の預言者という。女性像のように見える人物もいるが、基本は天使と預言者が全能の主キリストを囲み、その端に四福音記者が配置されているという構図である。 このようにして、旧約と新約の聖書全体を形づくる預言者と福音記者が、ともに天にいるキリストを賛美し、キリストに仕えているという光景が示され、それが内陣の上に描かれているということで、ここで行われる典礼は、まさしく天上の教会と地上の教会の交わりによるものだという見方が示されている。典礼の姿が鮮やかに具象化されている。主の背後の見事な黄金色は神の栄光の充満のしるしにほかならない。 さて、待降節第1主日C年の福音朗読箇所は、ルカ21章25-28、34-36節。人の子の来臨の前兆として、転変地異が予告され、また放縦や深酒や生活の煩いによる心の鈍りへの戒めがともに語られている。一見、不安や恐れを呼び起こすようなメッセージにも聞こえる。しかし、「大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくる」人の子は、紛れもなく完全な解放をもたらす方である(21・27参照)。「人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」(21・36)というメッセージは、裏返せば、主がいつも我々に目を注いでいることを確証させるものに他ならない。慈しみ深い主がいつも天におられ、最後の完成のために来てくださるという、力強い、救いの確約のことばなのである。 このようなニュアンスをもって味わわれる、全能の主であるキリストの図は、ミサにおいて祈られ、またミサの祈りそのものを導く方としてのキリストを表現している。紛れもなく、ここには、集会祈願の結び「聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリスト」がおり、感謝の賛歌において、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主、主の栄光は天地に満つ。天のいと高きところにホザンナ……」と賛美される方がここにおり、それはまた、主の祈りに続く祈り(副文)で、「わたしたちの希望、救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます」「国と力と栄光は限りなくあなたのもの」と祈って待ち望む主そのものである。 このように見ると、待降節第1主日に仰ぐ、このキリスト像は、典礼の一年を通してずっと、ともにいてくださる方のイメージそのものである。そして朗読箇所の結びにある「人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」(ルカ21・36)という呼びかけは、待降節第1主日独特のメッセージであるとともに、典礼暦年全体、すなわちキリスト者の生涯にとって、ずっと根底となるメッセージにほかならない。 |