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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2022年2月6日 年間第5主日 C年 (緑)  
恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる(ルカ5・10より)

不思議な大漁
細密画
イタリア パルマ パラティナ図書館 10世紀

 年間主日C年の福音朗読は、ルカ福音書に従ってイエスの宣教活動を記念していく。きょうの朗読箇所ルカ福音書5章1-11節は、最初の弟子たちの召命の場面である。他の年では年間第3主日に(A年=マタイ4・12-23、B年=マルコ1・14-20)、シモン(ペトロ)とその兄弟アンデレ、およびゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネの召命の場面が朗読されるのに対して、C年では年間第4主日になる。しかも、マタイ、マルコでは、イエスが宣教を開始する最初の行為として弟子たちの召命が語られるのに対して、ルカでは最初に述べられるのは、(先々週の)年間第3主日の福音朗読箇所になっていた4章14-21節、すなわち、イザヤの預言がきょう、実現したと告げる箇所であった。その後、続いて汚れた霊にとりつかれた男をいやし(31-37節)、多くの病人をいやし(38-41節)、巡回して宣教をしていく(42-44節)。そして、ようやくこの最初の弟子たちの召命である。しかも、これも、マタイ、マルコと違って、ルカではアンデレが登場しない。また、ルカでは、シモン(・ペトロ)に関する不思議な大漁のエピソードが含まれている。大きな流れでは相通じているものの、マタイ、マルコと異なるルカ独特の構成が見られるもの興味深い。
 このようなルカ福音書の叙述の展開は何を意味しているのかということを、表紙絵とともに味わってみたい。絵は必ずしも叙述の詳細を追っているわけではなく、湖畔に立つイエスが漁師たちの舟に対して何かを語りかけている光景を表している。実はこのような構図は、ヨハネ福音書21章1-11節が伝えるエピソードととてもよく似ている(このヨハネの箇所は、C年の復活節第3主日の朗読箇所ヨハネ21・1-19に含まれている)。このよく似た二つの大漁の話は、福音書以前の共通口伝に由来し、ルカ、ヨハネはそれを各自の文脈に組み入れていると考えられている。ヨハネ福音書21章の場合は、そのあとの12-19節が示すように、復活したイエスによるペトロに対するより深い召命を叙述する文脈にある。表紙絵の構図は、舟に乗っている弟子の数が7人であることなど、ヨハネ福音書のほうに合致するので、この絵を通してヨハネ福音書21章とルカ福音書5章のきょうの朗読箇所を重ねながら味わっていくことが一つの方法となる。
 弟子たちが呼ばれるということが召命のテーマとして重要であるが、そのことの前に、まず重要なのは、絵では(向かって)右端に立つイエスの姿である。朗読箇所においても強調されているのはイエスのことばの実現力である。魚がとれないという状況でイエスが「漁をしなさい」と命じ、漁師たちがそのとおり行うと、おびただしい魚がかかる……。不可能を可能にし、現実のものとされているのである。ここには、すでにイエスが神の言葉を告げられる方であること、彼のうちに神の聖なる力が満ちあふれていることが語られている。それは、直前の箇所で述べられていた、人々のいやしや巡回宣教のうちに、まざまざと示されていたものである。
 したがって、なによりも、イエスに現れている神のことばの力、そしてその聖性を思うことがきょうの大きなテーマであることがわかる。そこに、シモン・ペトロのひれ伏しての告白のことば=「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」(ルカ5・8)が有する深い意味がある。それは聖なる方の顕現を前にしたときに人が心深くに覚える畏怖を示している。第1朗読で預言者イザヤの召命の場面(イザヤ6・1-2a、3-8)が読まれるのも、聖性の前での畏怖という共通のテーマによる。
 このように、きょうの聖書朗読のテーマは、召命だけではなく、その根底にある、イエスにおける聖性の顕現である。「すべてを捨ててイエスに従った」(ルカ5・11)弟子たちの決断を導き出したのは、イエスにおける神性の顕現であり、「恐れることはない」(5・10)と告げるイエスに魅了されるようにして、漁師たちは人間の漁師になっていこうとする。不思議な大漁は、神の力の現れであるとともに、今後のイエスの宣教活動の展開を暗示する。その活動の中に弟子たちはすでに招き入れられている。召命という出来事の核心にあるものが示されているのではないだろうか。
 ここで、思い出されるのは、日本のミサ典礼書独自の式文である聖体拝領前の信仰告白は「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧。あなたをおいてだれのところに行きましょう」となっているが、その典拠であるヨハネ6章68-69節のシモン・ペトロの信仰告白は原文的では、「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」(新共同訳)である。まさにイエスにおける神の聖性の覚知が中心にある告白であることを心に留めておきたい。きょうの弟子たちの召命とも通じていることを気づくことが重要である。我々自身の前にも、この絵が示すような力強いイエスの姿が聖性の現れとしてともにあるということを意識し、ミサを通じての毎週の召命と派遣の出来事を受けとめていきたい。


 きょうの福音箇所をさらに深めるために

すべてを捨ててイエスに従った
 この奇跡的大漁はヨハネ21章1-11節でも言われている。マルコの召命記事にある典型的な呼びかけ、「わたしについて来なさい」(マルコ1・17)がここルカにはない。また「わたしはあなたたちを人間たちの漁師にしよう」(同参照)という意志表示もない。あるのは……

和田幹男 著『主日の聖書を読む(C年) ●典礼暦に沿って』

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