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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2022年5月29日  主の昇天 C年 (白)  
イエスは彼らが見ているうちに天に上げられた  (使徒言行録1・9より)

キリストの昇天 
祭壇のエマイユ装飾(部分)
オーストリア クロスターノイブルク参事会聖堂 12世紀末

 主の昇天の図であるが、キリストの姿は見えず、ただ天に昇るときの足のみが見えるという面白い構図の作品である。我々には漫画的にさえ感じられる描き方だが、中世の図にはしばしば見られる。「雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」(使徒言行録1・9)という記述に対して忠実な描き方でもある。天、すなわち神の次元に移り行くその栄光の姿は、人間の目には見えないもの、描くことのできないものという態度が示されているのである。
 この作品は、オーストリア、ウィーン近郊のクロスターノイブルクの参事会聖堂にある祭壇装飾(エマイユ板)である。昇天の場面を含む聖書場面図があることで知られる。1段17場面、全3段で51場面からなる(完成は1181年。1330年に火災に遭い、改造・追加がなされて現在に至る)。3段のうち中段がキリストの生涯(お告げから表紙絵の昇天まで)、聖霊降臨を経て再臨のときの審判者キリストの像に至る。上段と下段はそのキリストの出来事にちなんだ旧約の出来事が描かれる(そのうち上段は「律法以前」、下段は「律法以後」)。旧約と新約を対照させた解釈(予型論的解釈)を示す作品例として興味深く、これら全体が「絵解き聖書」といわれるほどである。
 さて、主の昇天の図のもとになるのは第1朗読箇所の使徒言行録1章1-11節である。ここでは、復活したイエスが「40日にわたって彼ら(=使徒たち)に現れ、神の国について話された」(3節)とあり、食事のときの話のあと、「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられた……」(9節)となる。今日も主の昇天は復活の主日から40日目が原則の祭日である根拠がここにある(日本では復活節第7主日に祝われる)。この昇天のことは、使徒言行録と同じ著者であるルカの福音書末尾でも触れられており、C年の今年は、ちょうどそのルカ24章46-53節が福音朗読箇所にもなっている。末尾の50~53節が簡潔に、イエスは、弟子たちを「祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」(51節)と述べる。
 主の昇天A年の福音朗読箇所マタイ28章16-20節では、山の上で使徒たちに派遣命令をするイエスの姿とことばを記すが、昇天の出来事はない。B年の福音朗読箇所マルコ16章15-20節は、後に加えられた結びの一部で、「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた」と簡潔に述べる。ヨハネ福音書は20章、21章で復活したイエスの現れをさまざまに叙述するが昇天を語ることはない。こう見ると、昇天の出来事を明確に叙述しているのはルカ、その福音書と使徒言行録だけで、しかもこの両者、イエスの生涯の証言と使徒たちの宣教の証言をつなぐ位置に置いている。この位置づけからだけでも、ルカにとって昇天の出来事が重要なものであることが感じられる。
 絵に戻ろう。足だけが見えているイエスの昇天を、マリアと弟子たちが驚きの面持ちでじっと見上げている。弟子たちの頭髪や皆の衣の襞(ひだ)が実に細かく描き込まれているので、その雰囲気はリアルである。イエスの真下にいて、見る側からは後ろ姿になっているのがペトロだろう。その(向かって)左側にいるのはマリアである。弟子たちの一団の中にマリアがいることは、昇天の図における有力な伝統である。使徒言行録で、昇天の場面ではマリアのことは言及されていないが、昇天のあとエルサレムに戻ってきた使徒たちの集いの中に「イエスの母マリア」がいたことははっきりと記されている(使徒言行録1・14)。この共同体の上に聖霊降臨使徒言行録2・1-4)があって、教会として本格的に動き出すことを思うと、教会の母マリアの存在を昇天の図においても描くことはますます重要になっていったことが窺われる。
 したがってこの昇天の図は、単に使徒言行録1章の叙述を描くというだけでなく、新約聖書、そして教会の伝統全体が証言するキリストと教会の全体との関係にまで、その思いが及んでいる。もちろん、昇天の出来事はこれだけで完結するのではなく、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」(使徒言行録1・8)とあるように、聖霊降臨と一体の出来事であり、そして、天使から「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(使徒言行録1・11)とあるように、終末の再臨とも関連づけられる出来事である。聖霊降臨からの地上における教会の活動と、その完成に向けての展望が開かれているのである。この聖霊降臨から終末の再臨までの時間の中で現代の我々も位置している。ミサ(感謝の祭儀)において具現される天にいるキリストとの交わりのあり方が、この昇天の出来事から始まっていることを思うとき、イエスの姿と、そのメッセージは、いっそう身近に感じられるだろう。イエスの昇天を見上げるマリアと弟子たちの姿は、我々自身の姿でもある。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

主の昇天
 ルカ福音書はイエスの昇天を述べて終わる。しかし、イエスの昇天を述べる記事は、ルカ福音書と同じ著者が書いた使徒言行録1章4-11節にもある。両者の叙述の細部に食い違いがないわけではない。だが、同一の出来事に関する記述であり、ルカはそれを福音書の結びと使徒言行録の冒頭の双方に配置したと考えて間違いはない。つまり、イエスの宣教を述べる福音書と弟子たちの宣教を述べる使徒言行録とはイエスの昇天によって結び合わされる。イエスの時代から教会への橋渡し、それがイエスの昇天なのである。

雨宮 慧 著『主日の福音 C年』「主の昇天」本文より

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