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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2022年8月28日 年間第22主日 C年 (緑)  
へりくだる者は高められる(ルカ14・11より)
 
十字架のキリスト
ステンドグラス(部分)
フランス シャルトル大聖堂 12世紀
 
 シャルトル大聖堂のステンドグラスに描かれる十字架のイエス像の顔の部分をクローズアップして観賞する、きょうの表紙作品である。
 きょうの福音朗読箇所は、ルカ14章1、7-14節。先週の福音朗読箇所にもあった神の国を宴会に譬(たと)えて教えるという流れが続いている。そして、この宴会(神の国)への招きに対してふさわしい態度がはっきりと告げられる。上席に着くか、末席にとどまるかという具体例を通して、「高ぶる態度」と「へりくだる態度」の対比が説かれる。その戒め、教えが「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(ルカ14・11)という格言的対句によって要約されている。また、後半には、宴会に親しい者や金持ちを呼んで、報いを期待するようなことがあってはならない、その招きは報いることのできない「貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人」に向けるようにとの呼びかけも加えられる。
 神の国の招きは、神の無償のいつくしみと愛のわざであることが暗示されている。この愛に応える人に求められるのは、ひたすら謙虚なものでなくてはならない、神の国とはこのような者の入るところである……そういったメッセージが全体にあふれている。この謙虚、謙遜といった態度が、決して、人間関係の次元のことでないことは、言うまでもない、神の前でのへりくだり、神のみ心がそのままを行われるように、ちょうど主の祈りで「み心が天に行われるとおり、地にも行われますように」と祈る、その心が求められている、と考えることができよう。
 このへりくだりというテーマは、第1朗読箇所であるシラ書3章17-18、20、28-29 節においても明確な呼びかけとして記されている。「偉くなればなるほど、自らへりくだれ。そうすれば、主は喜んで受け入れてくださる」(18節)、「主はへりくだる人によってあがめられる」(20節)。聖書を通して、神に従う生き方として求められていることを集約する一つのことばが「へりくだり」であるということを、きょうは学ばされる。そして、この「へりくだり」は、イエスが教訓として人々に語っているだけではない。自らが徹底した「へりくだり」を行い、示したことによって、この教えを永遠のものとしている。それが受難と十字架上での死にほかならない。その意味で、表紙絵には、十字架上で静かに頭(こうべ)を垂れ、目を閉じ、自らの死を神の御心として受け入れているイエスの姿を掲げているのである。
 ここで、受難の主日と聖金曜日に一部が詠唱として歌われるフィリピ書2章6-11節を思い起こしたい。一語一語味わうために長いが引用しておこう。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分となり、人間と同じ者となられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」。ここにはキリスト教的な意味での「へりくだり」についての究極の教えがある。イエス自身の口から語られている、きょうの福音朗読主題句「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」は、このイエスの受難と十字架の死を経て、復活し、昇天し、御父の右の座に今や主としておられることのうちに、究極の「へりくだり」の実現がある。
 そういう意味では、きょうの福音朗読の中でのイエスの戒めや呼びかけのうちに、すでにその最後の受難の道が暗示され、予告されていると思うと、味わい深い。
 先週の福音朗読でも、神の国の宴会の譬(たと)えの背後に、最後の晩餐の意味合いも重ね合わせて考えたが、きょうの福音においても、やはりイエスの受難の道、復活への道を合わせて読み取ることができる。福音書の内容は、いつもどれも、そのように主の十字架と復活の光が射し込んでいるのであろう。
 翻って、我々がささげる感謝の祭儀(ミサ)では、奉献文において、いつも最後の晩餐での聖体の制定のことばを、今、二つの形態を聖体にする聖別のことばとして告げられるのを聞く。ここに、主のへりくだりの姿はいつも現在のものとされている。受難の主日と聖金曜日で大きく思い起こされていることは、毎回のミサでいつも記念されていることになる。ミサは、我々に対して、イエス・キリストを通して、いつも神の前でのへりくだりを教え、その道に招く、召命の出来事でもある。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる
 イエスは招待してくれた主人に、友人や親族、仕事上利害関係にある人々ではなく、社会から疎外されている人々を招くように言われる。かえってクムラン教団で排除すべきだとされる人々(死海文書1QSaⅡ5-8参照)こそ招くように、イエスは言われる。

和田幹男 著『主日の聖書を読む(C年)●典礼暦に沿って』「年間第22主日」本文より

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