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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2022年10月09日 年間第28主日 C年 (緑)  
耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる(二テモテ2・12より)

荘厳のキリスト
ザンクト・マリア・アド・グラドゥスの福音書
ドイツ ケルン管区図書館 一〇三〇年頃 

 表紙絵は、きょうの第二朗読箇所二テモテ書2章8-13節の内容にちなんで掲げられた荘厳のキリストを描く福音書挿絵である。オットー朝写本芸術(10世紀後半から11世紀半ば)の例の一つで、中世初期のキリスト教図像の代表的テーマである「荘厳のキリスト」を描くものである。
 キリストの足元には宇宙(世界)を表す球体が描かれている。キリストの背後にある二つの輪は栄光の玉座を意味するが、星の輝きも描かれており、今キリストがおられる「天」の象徴と考えられる。下の球体と合わさって全宇宙を強調するものと考えてもよい。キリストの右手のしぐさは権威・祝福の象徴。左手に抱える本には「わたしはアルファであり、オメガである」という文字が浮かんでいる。言うまでもなく、黙示録22章12-13節のことばが踏まえられている。「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである」。これらの意味するところである、永遠の主であるキリストが十二分に造形されている。色調も生命を意味する緑と、神の栄光を示す金色を軸に、落ち着いた感じである。
 周囲中段2段に四福音記者の象徴がある。(向かって)左上の人はマタイ、その下の獅子はマルコ、右上の鷲はヨハネ、その下の牡牛はルカである(それぞれ名前も記されている)。四福音記者の上下には四大預言者が描かれる。上段の(向かって)左はエゼキエル、右はダニエル、下段の左はイザヤ、右はエレミヤ(こちらもそれぞれ名前が記されている)。このように、四大預言者が福音記者の周りから従者のようにキリストを囲んでいる。ともにキリストをあかしする旧約の預言者と新約の福音記者への尊敬を含みつつ、キリストの栄光を賛美する画像となっている。
 さて、第二朗読箇所二テモテ書2章8-13節には、おそらく初期の教会の中で歌われていたであろう、キリスト賛歌が引用されている。「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる」(11-12節)。この文言は、一方では、ローマ書6章でパウロが洗礼について教えている箇所を思い起こさせる。そこでは、「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」(ローマ6・4)とある。他方、二テモテ書の文言は、洗礼についてというよりも、信者たちが、現実に受けている迫害、信仰ゆえの苦難について述べていて、それらを「耐え忍ぶなら」と言っているようでもある。
 いずれにしても、ここで待望されていることは、ただ一つ、「キリストと共に生きるようになる」ということである。「共に支配するようになる」と言われているときの「支配する」も、キリストの教えられた通りの意味で理解しなくてはならないだろう。他者を、何かの力をもって圧迫し、押さえつけるような意味での支配ではなく、キリストがいつくしみ深い御父のみ旨とその力を示されたように、キリスト者自身も御父のみ旨に従って、いつくしみ深く生きることを教えているものにほかならない。御父のようにいつくしみ深く……キリスト者としての生き方の基本が、二テモテ書では、まさにキリストと共に生きる、共に支配することとして語られているものと思われる。
 このように考えながら「荘厳のキリスト」像を見つめるとそれは、神のいつくしみの輝きを映し出すものといえる。その姿は、きょうの福音朗読箇所(ルカ17・11-19)と第一朗読箇所(列王記下5・14-17)の結び付きから浮かび上がるテーマ、病のいやしと信仰、というテーマと響き合ってくる。すなわち重い病を患っている人が神の力によっていやされ、そのことに恩恵を感じた人が神を賛美し、信仰を表すようになったというプロセスを導くキリストの姿が感じられてくるのである。そこに、いのちの主である神の生きた働きと、その神に信頼をもって賛美や感謝をささげようとする人の信仰が集約されてくる。どのような苦難にあっても、その人とともに神が生きておられ、すべてを導いておられるという確信がにじみ出てくる。「アルファであり、オメガである」方の、初めから終わりに至るまでの永遠の導きへの信頼である。
 ミサは、常に、洗礼を受けてキリストと結ばれ、神の民となった我々のキリストへの信頼を表現する。キリストと共に生きる喜び、苦難にあってもキリストと共に生かされることの確信、死を超えても共に生きるようになることへの希望で満ちている。荘厳のキリストは、遠いキリストではなく、ミサの中にいつも共にいる主の姿を示している。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

年間第二十八主日
 きょうの福音の中心は奇跡の生起を報告することではない。奇跡の後に何がなされるべきかを語ることにある。要素Cが素朴な治癒奇跡に比べはるかに拡大されたのはそのためである。奇跡物語的要素は後退し、それに代わって、サマリア人の行動が前面に押し出されている。

雨宮 慧 著『主日の福音――C年』「年間第二十八主日」本文より

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