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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2022年11月13日 年間第33主日 C年 (緑)  
忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい(福音朗読主題句 ルカ21・19)

救い主キリスト
テンペラ画 
キプロス ルヴァラス 聖ママス教会 15世紀末

 きょうの福音朗読箇所ルカ21章5-19節は、イエスが弟子たちに迫害や苦難を予告する、いわゆる終末についての説教である。そのことばの中で戦争や暴動(9節)、民と民、国と国の敵対的蜂起(10節)、大地震、飢饉(ききん)、疫病、天に現れる異常現象(11節)が言及される。これらの現象は、イエスの時代だけでなく、その後の歴史においても、さらに現代においても身近な現象ばかりであろう。これだけでも、どれも苦難の極みを示す事例であると思われる。しかし、イエスは言う。「しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く」(12節)と言い、「あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる」(16節)とまで語られる。
 迫害、裏切りが、あれほどの大きな苦難よりも前に迫るという語り方は、人間の間での迫害と裏切りがどれほど深刻な苦しみであるかも、物語っているようである。
 実際、イエス自身が弟子の一人から裏切られる。それはまさしくイエスの受難の始まりであり、4つの福音書すべてが述べている(マタイ26・47-56;マルコ14・43-50;ルカ22・47-53;ヨハネ18・3-12)。その過程では、ペトロの否認さえもある(マタイ26・57-58,69-75;マルコ14・53-54,66-72;ルカ22・54-62;ヨハネ18・15-18,25-27)。
 きょうの福音朗読箇所では、イエスは、弟子たちに迫る迫害や裏切りに対して、それらが「あなたがたにとって証しをする機会となる」(13節)と告げ、「対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授ける」(15節)と語り、「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない」(18節)という形で、保護と助けがあることを告げ、弟子たちにはひたすら「忍耐」(19節)を呼びかける。この文脈で語られる忍耐とは、苦難を耐え忍ぶことというよりも、神に信頼し続けることを意味している。忍耐が、信仰をもって生きること、神とともに生きることの象徴となる。
 どのような天変地異、そして信仰のゆえの迫害や裏切りをも耐え忍ばせてくれる、助けと保護の主としてのイエス・キリストを思うために、表紙絵は、キリストのイコンを掲げてある。その右肩から左肩にかけての上の部分に「ホ・ソーテール」のギリシア語文字が記されている。「救い主」という意味である。静かな威厳に満ちた主キリストの姿を深く印象づけるのが光輪の文様となっている赤い十字の部分ではなないだろうか。そこに記される三つの文字は、「存在する方」を意味する文字記号と思われる。十字架の苦難を経て、永遠の主となられたキリストを端的に示す文言により、絶えず保護と助けを与えてくれる救い主であることの意味合いがいっそう深くなっている。
 迫害や裏切りが大きく語られているが、天変地異をなす、戦争や敵対、地震や飢饉や疫病も、現在の我々にとって身に迫る事象であることも感じざるを得ない。そのような世にあって、各国の政治指導者たちも混迷や動揺の中にある。その中にあって、キリストは永遠の主であり、永遠にすべてを導く方である。このイコンに映るキリストは、来週の日曜日、すなわち王であるキリストの祭日の主題にもつながっていく。
 その関連で、第一朗読箇所マラキ書3章20節aを最後に味わおう。その日、主の裁きの日は「炉のように燃える日」といわれる(19節)。そのことと、「わが名を畏れ敬うあなたたち」(20節a)の態度が対置されている。とするならば、神を畏れ敬う人々の態度は、冷静な穏やかな態度であることが想像される。神に信頼しきった態度はそういうものなのだろう。それは忍耐の姿でもある。そして、そのように「わが名を畏れ敬うあなたたち」には「義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある」(同)と告げられる。「義の太陽」とは、正義と輝きに満ちた神の救いの介入をイメージとして告げるものであり、教会においては、救い主キリストを象徴する預言として受けとめられる、太陽のイメージがキリストに重ねられるきっかけとなる重要な預言である。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

ヨハネ11章45-57節
 権力にしがみついている彼らにとって、自分たちの身分が脅かされることは、何としても防がなければならないことだったのです。「イエスという人物が不思議な業(わざ)を行い、時の権力者によって十字架刑に処せられた」ことはローマの歴史書にも記載されている歴史的事実です。そして、イエスが弟子たちに、自分の受難を予告しながら十字架に向かったことは、一般の歴史書に記されていなくても事実は事実です。


オリエンス宗教研究所 編『聖書入門──四福音書を読む』「第12講 受難に向かうイエス」本文より

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