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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2022年11月27日 待降節第1主日 A年 (紫)  
人の子が来るのは、ノアの時と同じである。……あなたがたも用意していなさい (マタイ23・37、44より)

ノアの箱舟
『悪徳と美徳の大全』挿絵
パリ フランス国立図書館 13世紀

 キリストが再び来る時に備えて目を覚まして用意していなさい……これが待降節第1主日、ABC年各年共通のメッセージである。A年の福音朗読箇所としては、それをきょうの福音書マタイ24章37-44節から読む(B年はマルコ13・33-37、C年はルカ21・25-28,34-36から)。前年(今年はC年)の年間の終わりの主題、終末に向けての教えを引き継いで、主の再臨への待望と準備の主題が掲げるのが、この第一主日の主題である。
 きょうのマタイの本文は、そのイエスの教えの冒頭で、ノアの洪水の出来事を思い起こさせている。洪水が来る前に、箱舟に入る日まで、人々には十分な用意がなかったことに触れる。創世記6章からのノアの洪水に関するエピソードで語られる。地上の人の「悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っている」(創世記6・5)状態を一般に触れているのだろう。イエスが語る「ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた(マタイ24・38)に関する叙述はとくに創世記には見あたらないが、そのような教えでイエスは人々が洪水の訪れに気づかないでいる様子を表現している。
 このような文脈で想起されているため、ノアの洪水にちなむ絵を表紙絵には掲げている。『悪徳と美徳の大全』とはトマス・アクイナスと同時代のドミニコ会の神学者グイレルムス・パラルドゥス(1271没)という人の著作である(執筆年代1236-48年)。悪徳と美徳を対比させる道徳論として人気を博して、広く読まれたといわれ、印刷術の時代になってもよく普及したそうである。ノアの箱舟に関する創世記の話 (創世記6-9 章) はそのような道徳的な教訓の書で重要な役割を果たしてことは容易に想像できよう。
 この挿絵の上には、“ARCHE NOE”(ノアの箱舟) と記されている。小さなスペースの中でノアの箱舟の意味を示そうと最大限の工夫をしている。部分的にしか見えないが、文字の上には悪魔の手の爪が描かれている。洪水の原因となった悪への堕落を示しているのがわかる。波打つ水に浮かぶ箱舟の内部は、驚くべき発想で断面図的に選ばれた人や鳥、四つ足動物が収められている様子が描かれている。動物の顔も人間の顔と同じくらいに大きく、個々の顔に焦点を当てて描いている点も興味深い。読者である人々の個々の生き方への反省を促す意図が、ここにはあったのではないかと思われる。また、箱舟全体が城壁都市を背景に、あるいはその内部空間を示すような形で描かれているのも特徴である。
 地上世界に生きている人間と生き物の全体が、罪への堕落と滅び、そして救いと再生を経験した、というこの話の人類的規模が示唆的である。つまり、箱舟によって、生き延びることを約束されたノアや箱舟の生き物たちと、堕落し不法に満ちていた他のすべての「肉なるもの」の滅びという、運命の分岐に焦点が当てられていることによって(イエスがマタイ24・40-41で語る、畑にいる二人の男と臼をひく二人の女の姿のたとえも、この運命の分岐と決断の必要を教える)、それによってキリストの再臨に備える目覚めが呼びかけられていることは言うまでもない。
 このように、ノアの出来事の参照によって、イエスの「用意していなさい」(マタイ24・44)というメッセージは、非常に大きな展望のうちにあることが感じられてくるのである。きちんと信仰生活を送りなさいという個人レベルでの諭しや戒めのように受け取られがちだが、それだけではなく、主の再臨に備えることは地球世界全体、全人類、さらに命あるものすべてのものの存亡にも関わる連帯責任に関係していることを思わせる。主を迎える入れる人に約束される新しいいのち、そして新しい使命への招きを含んでいるものとして、現代世界への福音宣教への呼びかけとして、我々がそれに対する応答としての歩みをともに担うのでなければならないだろう。
 ちなみに、きょうの聖書朗読では「時」に関する語が三つの朗読すべてに出てくる。福音が告げる「人の子は思いがけない時に来る」ことの意味を考えさせる第一朗読と第二朗読である。第一朗読のイザヤ書(2・1-5)では、「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる」(イザヤ2・2)として、救いの実現の時がイメージ豊かに約束される。第二朗読のローマ書(13・11-14a)では、「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています」(ローマ13・11)として、救いの近づきを「日は近づいた」(12節)とも表現する。これらはすべて救い主の来臨を暗示する。「主イエス・キリストを身にまといなさい」(14節a)との呼びかけは、入信式で白衣の授与によって象徴される洗礼による新生を暗示するものであるとともに、すべての人に向けられる、キリストとともに生きることへの招きの呼びかけである。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

目を覚ましていなさい
 この待降節に何を待つのか。待降節第一主日の福音では世の終わり、待降節第二主日から第四主日ではメシアの到来。このように典礼暦のはじめに、伝統的に世の終わりのことを考えることになっている。我々は典礼とともに人類の歴史をたどりながら、そのはじめから、「万物が回復される時」といわれる終末を見据える。バチカンのシスティーナ礼拝堂の正面に最後の審判、天井に天地創造、左側にモーセ、右側にイエスの活動が描かれているが、我々もこの大きなビジョンの中で生きている。


和田幹男 著『主日の聖書を読む(A年)●典礼暦に沿って』「待降節第一主日」

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