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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2022年12月11日 待降節第3主日 A年 (紫)  
来るべき方は、あなたでしょうか(マタイ11・3より)

洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼
モザイク(部分)
イタリア モンレアーレ大聖堂 12世紀

 表紙絵は、洗礼者ヨハネから洗礼を受けるイエスを描くモザイクの部分である。きょうの福音朗読箇所で、直接、洗礼の出来事が語られているわけではないが、洗礼者ヨハネとイエスとの出会いの出来事でもあった洗礼の場面は、両者の救いの歴史における位置関係を黙想するための出発点として鑑賞してみたい。
 同時に、この洗礼の出来事を踏まえておくことは、きょうの福音朗読と第1朗読を味わうための前提にもなる。モザイクのこの場面の中で、イエスはヨルダン川を描く水の流れの中に全身が浸される形で描かれている。洗礼者ヨハネはイエスの頭に手を置く。これは、天から突き出る手(父である神の働きを象徴)からまっすぐに鳩が降りてくるという形で描かれる聖霊の注ぎを仲介する按手のようでもある(この瞬間の出来事についてマタイ3章16-17節参照)。
 ここは、「そのとき、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』と言う声が、天から聞こえた」(17節)と記すが、ここでの「神の霊の注ぎ」については、イザヤ61章1節の「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた」ということばと照らし合わせる必要がある。いわば神の霊の注ぎが塗油をもって示されるという旧約の儀礼を前提とした表現がここにある。ここで「油を注がれた者」ということばが「メシア」(ヘブライ語)であり、「救い主」を意味することばとなる(ギリシア語では「クリストース」すなわち「キリスト」)。すなわち、イエスの洗礼は、神の御子であること、そして救い主であることが明らかにされた出来事だということになる。
 さて、きょうの福音朗読箇所マタイ11章2-11節で、牢の中にいる洗礼者ヨハネが弟子を介してイエスに「来るべき方は、あなたでしょうか」と問いかける(2-3節)。それに対し、イエスは救いの到来の事実を告げる。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」(5節)と。
 このことばには、イザヤの預言の複数の箇所が合体されている。一つは、きょうの第一朗読イザヤ書35章1-6a、10節の中の「そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く」(5節)、イザヤ29章18-19節「その日には、耳の聞こえない者が書物に書かれている言葉をすら聞き取り、盲人の目は暗黒と闇を解かれ、見えるようになる。……貧しい人々はイスラエルの聖なる方のゆえに喜び躍る」、先に引用したイザヤ書61章1節の「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた」に続く、「わたしを遣わして貧しい人に良い知らせを伝えさせるために」、イザヤ26章9節「あなたの死者が命を得、わたしのしかばねが立ち上がりますように」である。さらにきょうの答唱詩編となっている詩編146 の1-2節、6-9 節からとられた詩句とも響き合う。
 イエスによる救いの到来、その喜びがまさしくこの待降節第3主日のテーマである。それゆえに「喜びの主日」と呼ばれており、入祭唱のもとになっているフィリピ書4章4⁻5節が示している。――「主においていつも喜びなさい、重ねて言います。喜びなさい。主はすぐ近くにおられる」。
 他方、きょうの福音朗読箇所で、イエスがヨハネについて「預言者以上の者である」(9節)、「洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」(11節)として彼の登場の救いの歴史における決定的重要性を、称賛をもって語っている。同時に、「しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」(11節)と告げることで、自らが告げ知らせる神の国の到来が、洗礼者ヨハネまでの歴史をも、はるかに凌駕する決定的な救いの到来を意味することが強調されている。救い主のこの一大転換点を鮮やかに示すのがきょうの福音である。
 このように、待降節第2~第3主日を通して、神の子イエスの第一の来臨の出来事の記念は、いわゆる公生活すなわち福音宣教の序奏の想起として語られる。この内容は、年間第2主日からの朗読に引き継がれる。その前に、イエスの人間としての誕生とそれを巡る出来事が待降節第4主日から想起されていくのである。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

 イエスはメシア時代の特徴ある救いの働きを列挙して答えられた。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」と(マタイ11・5)。この六つの出来事は、イザヤ29・18-19、35・5-6(本日の第一朗読)、61・1、死者の生き返りについては申命記32・39b、サムエル上2・6、ホセア6・2、イザヤ26・19による。同じような列挙が『メシアの黙示』といわれる死海文書の写本断片(4Q521)にもあって、当時メシアに期待された救いの働きを見ることができる。

和田幹男 著『主日の聖書を読む(A年)●典礼暦に沿って』「待降節第三主日」

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