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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2023年1月8日 主の公現 (白)  
主の栄光はあなたの上に輝く(イザヤ60・1より)

三王礼拝
ドゥッチオ作
イタリア シエナ大聖堂美術館 14世紀初め

 ドゥォチオの描く、三王礼拝。(向かって)右側に描かれるマリアは、すでに整った座にあり、そのマリアをさらに玉座とするかのように、幼子がいる。描き方は、イコンの聖母子像に似ている。この幼子には、すでに王の風格がある。その前に三人の王がおり、先頭にいる老人の王は、冠を外して自分の後ろに置き、幼子イエスの前にひざまずいて拝礼している。幼子は、右手を差し伸べ、この拝礼を迎え入れ、祝福しているようである。
 老人の王の後ろにふたりの王、(向かって)右側が壮年の王、左側が青年の王の風体である。この二人の王は、幼子への拝礼の姿勢を取っておらず、ただ顔を見合わせているだけである。ここに含まれている心情はなんなのだろうか。やや珍しい描写である。幼子が救い主であり、まことの王であるという神秘に対する反応なのだろうか。王たちの後ろ(画面では向かって左側)には、王が乗ってきた馬、そして従者たちが多く描かれている。やはり、壮年、青年の二人の王と同様に、この出来事に対して不思議に思う気持ちがこの人々をも覆っているようである。この幼子がまことの王であること、救い主であること自体への驚きが示されているといえる。
 興味深いのは、この光景全体が岩山にある洞穴の前で展開されていることである。このような背景像は、東方教会で描かれる降誕図の舞台である。その影響が感じられる。この背景には、地上世界の闇が強調されており、それに対して、天を満たす金色、マリアと幼子イエスの光輪の光の対照が妙でもある。第一朗読箇所(イザヤ60・1-6)の「見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる」(2節)をここで味わうことができよう。
 さて、主の公現の祭日は、福音朗読を通して、マタイ福音書に沿って、東方の占星術の学者たちが幼子を礼拝した出来事を記念する。そこに、すべての人を救う神の子の栄光の現れがあるという意味で「現れ」(ギリシア語でエピファネイア、ラテン語でエピファニア)と端的に呼ばれる祭日である。これを訳して日本語では「公現」と呼ぶ。礼拝に来た学者たちの人数をマタイは記さないが、三つの贈り物にちなんで三人、さらに学者ではなく王と考えられるようになる。第一朗読のイザヤ書の言葉「国々はあなたを照らす光に向かい、王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む」(イザヤ60・3)といったイメージが作用しているのだろう。学者たちは、やがて王としてイメージされるようになり、画題としては「三王礼拝」が主流となっていく。さらにこの三人の王を老年・壮年・青年という三世代を反映するものとして描く描き方も生まれ、その特徴は、ドゥッチオのこの絵にも見ることができる。
 ところで、きょうの聖書朗読箇所は、第一朗読箇所(イザヤ書60・1-6)、答唱詩編(詩編72・2,4,7,8,10-13)と福音朗読箇所(マタイ2・1-12)が、どれも神への「贈り物」というイメージで結ばれている。神の救いの実現を知った喜びと、まことの神への礼拝の心が贈り物に凝縮されているのである。福音書が記す「黄金、乳香、没薬」(マタイ2・11)に関して、教父たちの解釈の中で、「乳香」は神への献げ物に使われることからキリストの神性に、「没薬」は埋葬に使われたことからキリストの死すなわちその人間性に、そして「黄金」は王への贈り物として、キリストが王であることを示すしるしとして考えられてきた一面もある。いずれにしても、救いの実現に対する旧約の約束と新約におけるその成就がぴたりと符合しているのである。そこに、まさに第2朗読箇所(エフェソ3・2、3b、5-6)でいわれる神の「秘められた計画」(3節)の啓示がある。
 公現の福音朗読と絵画を合わせて鑑賞する上で、重要になるのは、学者たちが「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた」(マタイ2・11)という一節である。マタイ福音書にとって「共におられる」がこの福音書全体を貫く重要なキーワードであることがよく指摘される。イエスの誕生の予告の中で「その名はインマヌエルと呼ばれる」という預言が引用され、この名が「神は我々と共におられる」(同1・23)という意味であると解説されている。また、末尾では、復活したイエスが弟子たちに「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(同28・20)と告げる。このように、マタイはイエスを「我々と共におられる方」とあかししているが、そのイエスがこの東方の学者たちの礼拝の場面では「マリアと共におられた」のである。
 神に選ばれ、救い主が生まれ、育つ座として、その生涯の同伴者として選ばれたマリアが救いの恵みを受けた人類、すなわち、神の召命を受けた「教会の典型、もっとも輝かしい模範」(『教会憲章』53)であるとすれば、この幼子のうちに「諸民族の光」(同1)である救い主の現れを悟った、異邦人の学者たち(王たち)は、救われるべきすべての民の象徴である。このようにして、神の救いの恵みが我々人類と共にある、という神秘(救いの計画)の深さと広がりを示す三王礼拝である。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(A年)●典礼暦に沿って』「主の公現」

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