2023年6月4日 三位一体の主日 A年 (白) |
栄光は父と子と聖霊に。神は今あり、かつてあり、また来られるかた(アレルヤ唱より) 聖三位 アンドレイ・ルブリョフ画 イコン ロシア モスクワ トレチャコフ美術館 1422-27年 15世紀初頭に生まれたこのイコン作品は、イコンの歴史においても、最高のものといわれており、後代にも大きな影響を与えている。聖三位一体と題されるこのタイプのイコンは、創世記18章1-16節(C年第16主日の第1朗読箇所になっており、その1-10a節が読まれる)の場面を踏まえたものである。三人の人の姿となって現れた神を、アブラハムがもてなし、イサクの誕生が予告されるという場面である。5、6世紀頃からこの主題を描く作品は、「フィロクセニア」(饗応)と題されていた。やがて、この三人の人の姿となって現れた神を、三位一体の神を意味するものとして理解され、もてなしの食卓に付く三者を聖三位一体として主題化する聖画伝統になっていった。 ルブリョフのイコンには、創世記のエピソードに登場するアブラハムもサラも見えない。聖書では天幕と書かれているアブラハムの家は建物になっており、マムレの樫の木も背景に退いている。アブラハムがもてなしに供した凝乳・牛乳・小牛も描かれず、食卓の上には、円錐型の器になにがしかの食物が置かれているだけである。そして、三人の人物は三位の天使の姿で描かれている。これが三位の神を表すものとされるのである。 一般に、(向かって)左が御父、中央が御子、右が聖霊、と解釈されることが多い。位格の順序に従って、配置されていると考えるものである。それに対して、中央を聖霊、右を御子とするのも意味深い。顔を御父に向け、右手をそれとなく御子に差し向けるところ、両者を結ぶ聖霊の役割が描かれていると見ることができるからである。このことも含め、このイコンにおける象徴の全体像を完全に解明することは難しいようである。 むしろ、このイコンを眺め、味わうことによって、救いの歴史についての黙想を深めることが大切であろう。アブラハムの饗応という旧約の伝承が、ついには、三位一体というキリスト教の究極の信仰内容に包含されていくプロセスを考えると、神の計画の深遠さに感服させられる。アブラハムの信仰とこのもてなしにおける奉仕は、キリスト自身の信仰と奉献、それだけでなく、神のみ旨を受け入れ従ったマリアの姿、ひいては神の民そのものの姿にもつながっていく。すべては、三位一体の神が計画された歴史の一つ一つの歩みであったことがわかる。 そして、神が我々を訪れてくれた出来事の原点に、キリストの死と復活がある。使徒たちの復活したキリストとの出会いは、聖霊の働きによって広められ、深められていく。この出会いは、すべての人にとって、三位一体の神との交わりへの招きである。そして、その交わりを具体化してくれるのは聖体の秘跡であり、感謝の祭儀(ミサ)である。このイコンの天使たち(=三位一体の神)の真ん中に置かれている器の中の食物は、まさしく、それを象徴していると思われる。 三位の天使(三位一体の神)を描く曲線は、あくまで優美に流れ、この聖画像に生命感を与えている。それは、まさしく、神の永遠の愛の息吹を告げているかのようで、我々を引き込む魅力に満ちている。 A年である今年の「三位一体の主日」にあたり、その聖書朗読箇所を味わうためにも、このイコンは、大きな示唆を与えてくれる。第1朗読箇所である出エジプト記34章4b-6, 8-9節では、主である神の啓示がなされる。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち〔た者〕」である、神のありさまが告げられるのである。 第2朗読箇所である二コリント書13章11-13節では、使徒の信者たちに一致と平和を保つようにとの呼びかけがあり、それが「愛と平和の神があなたがたと共にいて」(11節)くださることになるというメッセージと、現在のミサの開祭のあいさつの式文にも取り入れられている「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」(13節)ということばが告げられている。 そして、福音朗読箇所であるヨハネ福音書3章16-18節では、御父である神が、御子を遣わされたのは、世を愛し、世を救うためであったことが告げられる、ニコデモとの対話(3・1-15)の中の一節である。イエス自身のことばとも、福音記者の証言のことばともとることができるが、いずれにしても、キリスト教の信仰の核心を表すことばである。 すべてを通じて、父と子と聖霊である神が、慈しみと憐れみの神、まことの神、平和と愛の神であることが繰り返し、諭される。このような三位一体の神は、聖体の秘跡そして感謝の祭儀を通して、いつも我々とともにいる。このイコンは深く、いつまでもそのことを味わわせてくれよう。 |