2023年7月16日 年間第15主日 A年 (緑) |
あなたは地を訪れて喜ばせ、豊かな実りでおおわれる(詩編65・10より 答唱詩編 収穫 フランドルの暦(7月の挿絵) ブダペスト シェチェーニー国立図書館 1470年頃 15世紀末、ハンガリーの教会で作られた「サクラメンタリウム」(司式司祭用式文集)の写本に描かれた挿絵。この秘跡書は、記録されたハンガリー語の文章を収める最古の写本の一つとされ、重要な歴史資料である。長い間この写本は、ブラチスラバ(現在のスロバキアの都市)の司教座聖堂に保管されていたが、1813年にハンガリー、ブダペストのシェチェーニー国立図書館に移された。研究者の間では、この写本の校訂版を初めて出版したゲオルク・プレイ(1732-1801)にちなんで、プレイ写本とも呼ばれているそうである。 種蒔く人のたとえを内容とするきょうの福音朗読箇所(マタイ13章1-23節〔=長い朗読の場合〕、13・1-9節〔=短い朗読の場合〕)にちなみ、収穫のイメージを伝えるこの絵の鑑賞とともに黙想を進めてみよう。このたとえはよく知られている。種蒔く人の種がさまざまな場所に落ちるが、よい土地に落ちた種だけが豊かな実を結ぶという主題である。このことが、み言葉の種が根づかずにつまずいてしまう人や、聞くことは聞くが、世の誘惑に負け、実らせることのできない人の状態と対比され、信仰を持って生きることについての、きわめて具体的な教訓になっている。 長い朗読の場合の後半の箇所(10-23節)を見るとわかるように、譬え話そのもの(マタイ13・1-9)のあとに、譬えを用いて教えることの理由の説明(13・10-17)があり、そして種蒔く人の譬え自体の解説(13・18-23)があるという点でも興味深い。このような展開は、並行箇所にあたるマルコ4章1-20節、ルカ8章4-15節でも同様である(マルコがもっとも早く書かれた福音書とすると、その本文または、その元の資料がマタイ・ルカ福音書でも共有されていることになる)。 このような教訓的な話を聞くと、聞く側は、“世の誘惑に負けるな、種の生育をさまたげるな”といった禁止命令のニュアンスを感じ取るかもしれない。しかし、本来の主題は、よい土地に落ちた種はよく実る、すなわち、神のことばを聴いて悟る人には神の国の実りが訪れることを約束する希望の福音であろう。神の国の福音を聞く我々の心構えや生き方が問われていると感じる以前に、それ以上に、種のイメージで語られている神のことばの力、ひいては神ご自身の限りないいのちに目を向ける必要がある。このような方向で、この譬え話を受けとめるようにとの勧めがまさしく第1朗読箇所(イザヤ55・10-11)と答唱詩編の箇所(詩編65・10-14)の配分に感じられる。そこでは、ともに自然の営み、植物の生育、農耕の営みとその実りなどが、「そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす」(イザヤ55・11)と、神のことばのもつ生命力、実現力の表象として告げられている。答唱詩編では、「あなたは、地を訪れて喜ばせ、豊かな実りでおおわれる。……あなたの恵みは豊作をもたらし、あなたの訪れるところに豊かさがあふれる」(詩編65・10、12 典礼訳)と、自然や農耕の源に働かれる創造主である神が賛美されている。 したがって、福音朗読箇所における譬え話に登場する「種を蒔く人」のうちに、主イエス・キリスト、そしてともにおられる御父である神の存在を感じ取ることが、これを受けとめ、味わうことの基本となる。神の恵みと慈しみが日々、自分たちの生活の中で注がれていることに目を向けることが、我々自身も「良い土地」となり始める第一歩になる。その生活の柱になるミサの「ことばの典礼」こそ、キリストが、そして御父が福音のことばを蒔く営みそのものである。福音の種が育たない土壌になってしまうことへの警告よりも、この種を慈しみ育てる気持ちをもって生きることの上に約束される、神の国の実りの素晴らしさを待ち望むことが大切である。 地上の現実は苦しみや悩みが絶えないが、その中でも希望があることについては、第2朗読箇所のローマ書8章18-23節でパウロが力強く語っている。「被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです」(ローマ8・21)。ここに「天の国の秘密」(マタイ13・11参照)がある。 ※お詫びと訂正 表紙絵の制作年に誤りがありました。お詫びして訂正させていただきます。 (誤)一七四〇年頃 → (正)一四七〇年頃 |