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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2026年2月8日 年間第5主日 A年 (緑)
あなたがたは地の塩、……世の光である(マタイ5・13、14より)

祝福するキリスト
聖堂彫刻 
フランス シャルトル大聖堂 13世紀初め

 シャルトルの教会の歴史は4世紀に遡るが、聖堂はたびたび破壊や焼失に遇った。現存の大聖堂の建築が始まるのは12世紀半ばである。さまざまな彫像や浮き彫りを伴う南扉は1224年に完成。その中央の柱に据えられているのが、表紙絵に掲げられたキリスト像である。このキリストが左手に抱えているのは福音書、右手は祝福を授けるしぐさをしている。その姿は「世の教師」(ドクトル・ムンディ)と題される。
 人々に福音を告げ、祝福し、神に従う愛の道を説く教師の姿である。さらには「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる」(ヨハネ10・9)と告げる良い羊飼いとしてのキリストの姿も思い起こすことができる。特にまた、このキリスト像の端整で優美な顔は、フランス語で「美しい神」(le beau Dieu)と呼ばれる。「美そのものである神が人となった姿であるキリスト」を強調する当時の神学思想が反映された表現様式であるが、この「美」を「光」と考えれば、きょうの福音と結びつけて黙想を展開することができる。
 きょうの福音朗読箇所はマタイ5章13-16節に関連づけて味わってみたい。有名な「あなたがたは地の塩」(13節)、「あなたがたは世の光」(14節)ということばが含まれている箇所である。福音記者の叙述部分はなく、イエスのことばすべてが朗読箇所となっている。それは一種のたとえを用いた教えである。塩にはそれ自体に味を付ける役割があること、ともし火には物や周りを照らす役割があることにおいて、弟子の生き方に関連づけられている。そのような役割を、地上世界で発揮することが求められ、促されている。直接のメッセージ「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」(16節)も興味深い。「立派な」は一般に「良い」を意味するが、ここでは、役に立つものとしての良いこと、自分の持ち味を発揮することにおいて良いことを指していう言い方のようである。そのことによって、人々が父である神を崇めるようになることが求められている。言い換えれば、それがすなわち人々の前で、父である神をあかしすることになるのだ、ということである。
 塩のように味を付け、光(ともし火)のようにあたりを照らすことにたとえられたキリスト者に求められるものは、具体的にどのように考えられるだろうか。この点を照らし出してくれるのがきょうの第1朗読箇所イザヤ書58章7-10節である。神に従う人に輝く「光」が言及され(8節、10節)、それは「正義」(8節)とも呼ばれる。具体的なこととして「飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと」(7節)と、非常に具体的に語られる。これは、まさしくイエスの教え(マタイ25・31-46)とも重なる。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」(同35-36節)とつながる隣人愛の呼びかけにほかならない。それが地上世界において、味を付け、光で照らす行為になる。
 このこととの関連を考えさせるのが、シャルトル大聖堂のこのキリスト像である。その足の下には竜(向かって左) とライオンが描かれている。以前から伝統的に使われていた表象で、詩編91の13節「あなたは獅子と毒蛇を踏みにじり、獅子の子と大蛇を踏んで行く」に基づく。後半に出てくる「大蛇」はヨーロッパの聖書訳ではドラゴン、つまり竜と訳されることが多い。獅子も竜もここでは神に逆らう力、罪や悪の象徴であり、これを足で踏んでいるところに、自らの命をささげることによってこれらの力に打ち勝った贖(あがない)い主としてキリストが表現されている。さらにその下に人の頭だけが見えているが、この下の部分にはキリストにパンを求めたり、祝福を求めたりする人々が描かれているらしい。
 このように、神の御子、贖い主、慈しみ深い主、祝福する祭司、愛の掟を与え、人々を養い導く良い牧者など、さまざまな特徴が凝縮されたキリスト像となっている。
 きょうの福音に戻ると、「塩」「光」という象徴的なことばで、キリスト者の生き方が指し示されるが、その究極の源は、神にほかならない。「あなたがたは地の塩、……世の光」とは、イエスの弟子たちが、その神のいのちにあずかっていることの明確な力強い宣言である。そして、この教えに含まれる祝福に満ちた招きは、ミサを通じて、いつも我々に与えられていることが重要である。
 このことを考えさせるのが、きょうの第二朗読箇所一コリント書2章1-5節の中に出てくる「神の秘められた計画」というパウロのことばである。これがパウロの語る「神秘」である(一コリント2・7参照)。教会でいわれる「キリストの神秘」という言い方の一つの源である。ミサで告げられる「信仰の神秘」にも結びつく。我々は、ミサについて、いつもこの神秘を託され、救いの計画に仕える「地の塩」「世の光」として派遣されるのである。
 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(A年)●典礼暦に沿って』年間第五主日

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