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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2026年2月15日 年間第6主日 A年 (緑)
わたしが来たのは律法や預言者を……完成するためである(マタイ5・17より)

昇天のキリスト
フランス リモージュのサンテティエンヌ大聖堂の典礼書挿絵
パリ フランス国立図書館  12世紀初め

 きょうの福音朗読箇所は、長い朗読の場合はマタイ5章17-37節で、短く読む場合はその中から20-22節a、27-28節、33-34節、37節と細かく指定されている。朗読の主題句は21節から取られており、「昔の人はこのように命じられている。しかし、わたしは言っておく」となっている。律法の教えに対して、自分は次のように教える……という、ここの教え全体の趣旨を語るのである。ただ、その精神は、17節にはっきりと告げられている。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」と。この教えは、18節、19節、20節でも展開される。律法や預言者の教え、その掟の一つ一つを「守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者とばれる」(19節)というのである。
 21節からは具体的な律法の教えを挙げつつ、その求めよりもはるかに徹底した態度を取ることを弟子たちに求めている。その説法は激しい。イエスの求めるところに沿えない場合は「裁きを受ける」(22節)、「火の地獄に投げ込まれる」(23節)とまで言われるほどである。その響きの強さ、鋭さは、我々の心をえぐりだす力がある。我々の生き方の根本姿勢を最も根底から問いかけ、神への回心を求めているからである。
 しかし、そうした強く、鋭い教えは、まさしく、神に従う人、イエスに従う人となるための生き方の例示にほかならない。それは、一言でいえば、隣人愛であろう(マタイ22・34-40 および並行箇所参照)。最も大切な掟として律法の根底にある、神の愛と隣人愛を説くこととのつながりをここで見ていかなくてはならない。イエス自身が個々の律法の背後にある、より深い神の意志を体現していることを思い、そこに信頼するとき、強く鋭い教えのことば一つひとつが、温かい人間愛を呼びかける神の国への招きのことばであることに気づかされるのである。そうした、律法の完成者としてのイエスの姿は、きょうの表紙絵では、昇天のキリストのうちに思い描かせてくれよう。
 昇天について告げるのは、マルコ福音書16章19-20節(後の補足されたと言われる結びの一部)とルカ福音書24章50-52節、使徒言行録1章9-10節で、マタイ福音書では昇天の光景の図はない。しかし、昇天が意味するところは、復活したイエスがガリラヤの山上で弟子たちに告げた次のことばのうちに尽くされていると考えられる。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・18-20)。きょうの福音朗読箇所の弟子たちへの教えも、最後のイエスのことばとのつながりの中で考えるべきだろう。「あなたがたに命じておいたこと」の一端が、マタイ福音書では、きょうの箇所を含む5章から7章において集中的に展開されているのである。
 この絵に描かれる、栄光のうちに天の次元に移り行くイエスの姿は、むしろ、両手を開き、両足も下の次元をしっかりと押さえて、自らが全能の主であることを正面から示しているようである。そこには、見えない父である神の意志が体現されているのであろう。まさしく「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」と言われるにふさわしい。
  下にいるマリアや使徒たちは、敬虔にイエスを崇める姿勢や、ここに起こっている神のわざに畏れを感じている姿勢など、さまざまな姿で表現されている。それは、きょうの福音の教えを聞く、我々の心模様そのものでもある。その中から、我々は、神のみ前に敬虔であること、神のみ心を思い、誠実に生きることへの決断を呼びかけられている。このことを間違いなく、心にとめさせてくれる支えが、きょうの第一朗読や第二朗読、そして答唱詩編にある。第一朗読箇所シラ書15章15-20節が見事に告げている。「人間の前には、生と死が置かれている。望んで選んだ道が、彼に与えられる」(シラ15・17)と告げるが、その根底には神がすべてを見通し、すべてを導く方であるという信頼がある。「主の知恵は豊かであり、主の力は強く、すべてを見通される」(18節)、「主は、御自分を畏れる人たちに目を注がれる」(19節)と告げられるとおりである。このような神への信頼感を答唱詩編も「しあわせな人、道からそれず、神の教えに従って歩む人」(詩編119・1 典礼訳)と歌う。
 そのような神の導きは、それ自体、神の深い計画による。第二朗読箇所一コリント書2章6-10節、そうはっきりと告げている。「わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです」(一コリント2・7)。この神秘は、別な箇所では「秘められた計画」(ローマ16・25、エフェソ3・3、コロサイ1・26-27など)と訳されるもので、「キリストの神秘」といった言い方の一つの源である。まさしく神のみ心を現す御子、神のみことばである方、旧約の律法・預言を完成させた、神と人類との新しい契約の仲介者であるキリストの神秘を、この昇天のキリスト像とともに仰ぎ、黙想していこう。
 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(A年)●典礼暦に沿って』年間第六主日

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