| 2026年4月5日 復活の主日 (白) |
イエスは死者の中から復活されることになっている(福音主題句 ヨハネ20・9より)イエスの復活を告げる天使(マルコ16・1-7参照) エグベルト朗読福音書 ドイツ トリーア市立図書館 980 年 復活の日の出来事を伝える福音の叙述は、四福音書ともほぼ並行している。このうちマタイ(28・1-10 ),マルコ(16・1-7)、ルカ(24・1-12)はABC年各年の復活徹夜祭で読まれることとなっており、復活の主日の日中のミサでは基本的には毎年ヨハネ(20・1-9)から読まれる。四つの福音書の記述は墓を訪れる女性たちの数と名前に関して少しずつことなっている。四福音書とも共通なのはマグダラのマリアだけである。きょうの表紙の絵は、三人の女性を描いているところから、明らかにさしあたりマルコ16章1節「安息日が終わると、マグダラのマリア,ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐに墓に行った」を基にしたものと考えてよい。 もう一つ福音書ごとで違いがあるのはこの女性たちに復活を告げる天使の描き方である。これもマルコ16章5節は「墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた」と記しているので、この写本挿絵の基本と考えてよいだろう。「天使」とは言われていないが、これは共通理解となっており、この絵でもAngelusとラテン語文字が記されている。背中に翼があり,神の御使いとしてのしるしの杖を持っている。 イエスの復活という不可思議な出来事を、この女性たちの墓訪問と、そこが空になっていたこと、そして天使のお告げというこの場面を描き出すことで表現することはキリスト教美術の初期からの根強い伝統である。その中で墓の描写自体も多様であり、古代ローマの廟堂のように、あるいはビザンティン美術のように岩山のように描かれることがあった。西方中世の写本画挿絵では、次第に棺だけに簡略化され、エグベルト写本のこの絵ではわずかに石棺の蓋だけが描かれるだけで、単に暗示する象徴にのみなっていく。デテールの描写を抜き去り、女性たちと天使との間のやりとりがこの絵の空間の核心をなしている。天使が右手を上げつつ、メッセージを告げる。女性たちも皆整列して、天使に向かい、先頭の女性(マグダラのマリア)は、右手で天使のメッセージを受けとめている。 天使の神妙な表情と女性たちの誠実な受け答えの姿勢――これこそが、イエスの復活の出来事の真実と厳かさとあかしとなっている。天使の表情、女性たちの表情も、驚きとか、喜びとかの強いニュアンスは加えられていない。天使の目、女性たちの目のはっきりとした描写が「復活」という事実の厳粛さをさりげなく感じさせる程度である。この静かな出来事とメッセージは、しかし、やがて、歴史を一変させることになる。そのような神の妙なるみわざであることは、背景は、下の緑の大地の上に、夜が明け染める次第が色調のグラデーションによって濃やかに表現されている。 この静かなその感動と喜びを、この日のミサの祈り全体とともに味わいたい。とくに歌、たとえばこの日の答唱詩編の詩編三連目「家造りの捨てた石が、隅の親石となった。これは神のわざ、人の目には不思議なこと」(詩編118・22-23参照)である(この答唱詩編は復活節第2主日にも繰り返される)。この詩編を味わっていると、この写本画の中の天使が座しているようにも見える緑色の板が強い印象を放っていることに気づく。元来は上述のように墓を暗示する石棺の蓋のようなイメージなのだろうが、ここでは、まさしくイエスの復活によって新たにされるすべてのいのち、全宇宙の礎石、「隅の親石」というイメージが込められているのではないだろうか。濃い緑色がそのような新たになった強い生命力を表現しているように感じられてならない。 ところで、復活の主日、日中のミサでは、「復活の続唱」という賛歌が歌われる。その詞の中心部分も実は、福音書が描く、マグダラのマリアたちへの天使のお告げが描き込まれている。「マリアよ、わたしたちに告げよ。あなたが道で見たことを。開かれたキリストの墓、よみがえられた主の栄光。あかしする神の使いと残された主の衣服を。わたしの希望、キリストは復活し、ガリレアに行き、待っておられる」の部分である。日本語の詞には、鍵括弧が略されているために明確でなく、流れで歌ってしまいがちだが、ここに明らかに対話がある。「マリアよ、わたしたちに告げよ。あなたが道で見たことを」は、墓から去って使徒たちのところに行ったマグダラのマリアに対して使徒たちが聞く質問である。続く箇所は、そのマグダラのマリアの答えである。ラテン語詞を直訳すると「生きているキリストの墓と復活しているその方の栄光をわたしは見ました。また使者である証人たち、そして死者の頭を覆う布と衣服を。わたしの希望であるキリストは復活したのです。その方はガリラヤに先に行かれます」となる。表紙絵の場面が明確なあかしのことばに昇華されたものとして味わうことができよう。 ちなみに、この出来事は「週の初めの日」のことであった。この日は教会で「主日」と呼ばれるようになる日曜日のことである。日曜日は毎週の復活祭、毎週の復活の主日であり、その毎週の復活祭の頂点を成すのが、きょうの復活の主日・日中のミサである。それは、まさしく、きょうの答唱詩編の答唱句――「きょうこそ、神が造られた日、喜び歌え、この日をともに」(詩編118・24参照)――にふさわしい。 |