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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2026年4月26日 復活節第4主日 A年 (白)
わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである(ヨハネ10・10より)

良い牧者(エリアの昇天の絵とともに)
壁画
ローマ ヴィア・ラティーナのカタコンベ 4世紀

 ローマのカタコンベの中で20世紀半ばの1955年に発見されたのがヴィア・ラティーナのカタコンベで、これは4月半ばか後半に建造されたものと考えられている。カタコンベとはキリスト教徒の地下墓所であるが、このヴィア・ラティーナノはある家族のための地下墓所と言われる。多くの壁画があり、様式的にはヘレニズム的絵画伝統にキリスト教的モチーフでの絵画が共存しているため、全体として古代ギリシア・ローマ美術の様式がキリスト教美術へと変容していくプロセスを示すものとして位置づけられている。
 このヴィア・ラティーナのカタコンベの壁画で、直接キリストに関係する絵は案外少なく、この良い牧者の図のほかにラザロの復活の場面の壁画があるだけである。興味深いのは、旧約聖書から題材を取るものが多いことである。ノアの洪水 (創世記8 章) 、マムレの樫の木のところでアブラハムに三人の天使が現れた話 (同18:1-15)、イサクの犠牲 (同22章) 、天に至る梯子を見たヤコブの夢(同28:12,18-22)、エジプト脱出の時の渡海の図がある。もちろん、これらはキリストによる救いを前もって示すところのいわゆる予型(前表)にあたる出来事であることが重要である。このように新約と旧約を照らし合わせながら聖書を読解する方法は使徒の教えにも福音書自体の構造の根底にあり、また教父たちによる聖書解釈の基本であり、現代の典礼における聖書朗読配分の土台にもなっている。
 このような旧約の絵の多さについては、初期のキリスト教徒が地下墓所で死者のために祈るときに、古代ユダヤ教的な祈りの伝統を強く受け継いでいたことを示すのではないかと考えられている。ユダヤ的伝統とヘレニズム的伝統の両方を背景にして、キリスト教的文化が形成されていく様子が生き生きと示されている点が興味深い。きょうの表紙に掲げられている良い牧者の絵においても、画面(向かって)左から上にかけて描かれているエリアの昇天 (列王記下2:9-12)のモチーフのほうが目立っているところに、当時の信者たちにおける旧約への関心の高さが感じられる。
 さて、きょうの聖書朗読箇所との関係を含めて黙想を少しでも広げてみよう。ご存じのように、復活節第4主日は伝統的に「良い牧者ないし良い羊飼いの主日」と呼ばれており、現在もA年B年C年ともにヨハネ福音10章から朗読箇所が選ばれている(A年=10章1-10節、B年=10章11-18節、C年=10章27-30節)。これらすべての箇所を通して、自分の羊を呼び、導く羊飼いに対し、その声を聞き分け、従う羊たちという関係が主題となっている。
 これを復活節全体の朗読の展開の意図と考え合わせると、次のようなことになろう。教会共同体は四旬節を通して新しい入信者が養成され、また信者の回心も深められてきた。その新たな心でキリストの死と復活にあずかり、刷新された共同体として入信者を迎えて教会共同体全体が歩みを始めていくなかで、復活節第4主日~第5主日~第6主日は、ヨハネ福音書を通して、イエスの教えを、あたかも復活した主キリストの我々へのメッセージとして聴いていくことになる。その初めに良い牧者のたとえを用いる教えが告げられている。
 その教えの中でも、A年に読まれるヨハネ10章1-10節では、良い牧者はイエス自身であるとはまだ言われない。「わたしは羊の門である」(7節)というのが自分についての説き明かしである。この「門から入る者が羊飼いである」(2節)と教えられるときの羊飼いとは、御父である神自身のことである。ここでは、羊飼いと羊の関係にたとえられるのは、御父と信者との関係である。「羊はその声を聞き分ける」(3節)と言われるときの「その声」とは、御父の声である。そして「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す」(同)とあるように、御父が自分を信じる者の中を呼び、導いていく。
 ここにおいて、信者の名を呼ぶ御父の声、その声を聞き分ける信者の心をつなぐのが「門」、すなわち主イエス・キリストである。そのようにして、神の導きの仲介者として自分自身のことを語るのがきょうの福音朗読箇所の教えである。ヨハネ10章の展開の中でこのあと、イエスは自分が良い羊飼いであると告げていく。そのようにして、御父と一体である御子キリストのあり方があかしされていくのである。
 表紙絵の牧者と羊たちの光景に戻ろう。古代キリスト教美術の作品では、羊を肩に担ぐ羊飼いの姿が数多く描かれている。このモチーフはギリシア・ローマ美術にあったものだが、それがキリスト教的に発展してキリストが死者の魂を天に運び、来世への旅路に待ち受ける悪霊の力に打ち勝つことを願うという意味が込められていたものと言われる。
 他方、きょうの表紙絵の壁画のように、羊の群れが牧者の見守るなかで平和に生きているといった大変牧歌的な光景が描かれる場合もある。この絵の牧者は、牧畜用具の上に腰掛けて休息しているようである。羊たちは安心して餌に向かっている。キリストに導かれる信者の群れが神と戯れる楽園の象徴をここに見ることができよう。若々しい青年の牧者として描かれているキリストに、新しいいのちの力、そしてキリストに託された希望の強さを感じてもよいだろう。
 羊の門、すなわち人を神に連れ戻し、神が新たに人を導くための入口として、自らを示すイエスのことば――「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(ヨハネ10・10)――で言及される「豊かさ」のしるしをこの絵の光景とともに感じてみたい。
 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(A年)●典礼暦に沿って』復活節第4主日

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