| 2026年5月10日 復活節第6主日 A年 (白) |
わたしを愛する人は、わたしの父に愛される(ヨハネ14・21より)最後の晩餐 フレスコ画 イタリア サンタンジェロ・イン・フォルミス聖堂 11世紀後半 イタリアのカプア近郊にあるサンタンジェロ・イン・フォルミス修道院(ベネディクト会)は、モンテ・カッシーノ修道院の大修道院長デシデリウス(生没年1027-87。晩年、教皇ヴィクトル3世となる)が、姉妹修道院として1058年に定礎し、1075年頃完成した修道院。その聖堂の内陣 (祭壇域) や身廊 (信徒席) を飾る壁画は、ビザンティン芸術の影響が強く受けたロマネスク壁画の代表例の一つとされるものである。フレスコ画ではあるが、モザイクのような輝きをもった色彩が特徴である。 イエスの姿勢やその反対側(画面向かって右側の弟子たちが体を半身にして横たえているのは、イエスの時代の祝宴が床に体を横たえて食事をしていたという慣例の知識から来るものだろう。初期の晩餐図でもそのように表現するものが多々見られる。いずれにしても、イエスと使徒たちが囲む、これはまさしく主の食卓、主の晩餐である。この絵の場合、真ん中の大きな半円型にみえる緑色の食卓が印象的である。イエスを左端において、そのことばや顔に一心に眼差しを向ける十二使徒の配列もまた半円弧を描いて配列されている。真ん中の鉢に右手を伸ばしているのがイスカリオテのユダである。ヨハネ福音書では、ユダの裏切りのことが13章2節、21-30節で語られている。弟子たちの顔の向きや表情が多彩に描き分けられているところが興味深いが、ここは、おそらくヨハネ13章21-30節のユダの裏切りの告知に対する衝撃が表現されているところなのだろう。 さて、きょうの福音朗読箇所は14章15-21節である。これも最後の晩餐についてのヨハネ福音書の叙述の一節である。共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)の場合、最後の晩餐でイエスが、以後、弟子たちによって行われていくべき「主の晩餐」、すなわち聖体の秘跡(の典礼)を制定したことを伝えているのに対して、ヨハネ福音書では、最後の晩餐でイエスが弟子たちの足を洗ったことをまず伝える(ヨハネ13・1-17)。これは、弟子たちに対して、互いに仕え合う共同体のあり方の模範を示したものである。続いてイエスは、ヨハネ13章の続く箇所や14章、15章を通して、キリスト者の生き方、信者共同体のあり方を教えていく。 きょうの箇所14章15-21節で告げられる新しいテーマは、真理の霊が弁護者として遣わされるとの約束である。先週の福音朗読箇所14章1-12節の中では、鍵となる教えが「わたし(イエス)が父の内におり、父がわたしの内におられる」(14・10)だった。その意味がきょうの箇所ではさらに展開されて「この(真理の)霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいる」(17節)こと、そのことによって「かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいる」(20節)ことになると、と告げられる。「内にいる」という句の繰り返しが特徴で、それによって、御父とイエスの一体性、そして、そのことに基づいて、イエスと弟子たち(キリスト者たち)との一体性が将来、実現することが予告されているのである。イエスはいったん彼らの前を去るが、「あなたがたのところに戻ってくる」(18節)。その間、弟子たち(キリスト者たち=わたしたち)と共にいる方、彼らの内にいる方として真理の霊(聖霊)が遣わされるというのが、ここでの教えの中心的なメッセージである。このような形で、終末における主の再臨による救いの完成を目指して、キリスト者の地上での生活が聖霊によって支えられていくことが告げられている。 絵に戻ろう。この晩餐図が食卓か半円型にしているところで、内への集中と外への広がりの両方の方向性を考えられるところに優れた特徴がある。イエスと弟子たちが食卓の真ん中に集中する方向で、ここでのパンの意味合いを際立たせるところにある。それと同時に、この主の晩餐の交わりから、弟子たち一人ひとりとイエスの一致、それによる弟子たちと父である神との一致への方向も考えていくことができる。それらの交わりを可能にする聖霊の働きを考えることもできる。画面における配色、赤・緑・青のアンサンブルも聖霊への思いを刺激してくれるだろう。きょうのイエスのメッセージ「(真理の)霊があなたがたと共におり、これから、もあなたがたの内にいる」(ヨハネ14・17)のうちに、次週の主の昇天、そして聖霊降臨の主日への流れが始まっている。 |