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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長・日本カトリック神学院教授 石井祥裕)
2026年7月19日 年間第16主日 A年 (緑)
〔“霊”は〕弱いわたしたちを助けてくださいます  (ローマ8・26より)

使徒パウロ 
イコン アンドレイ・ルブリョフ作
モスクワ トレチャコーフ美術館 15世紀初め

 きょうの表紙絵は、第二朗読箇所であるローマ書にちなんでパウロのイコンが掲げられている。三位一体のイコンで有名なアンドレイ・ルブリョフの作品である。一部剥離しているが、沈思する表情や姿勢の重みが際立って印象づけられる。何よりもその額の大きさと光に照らされた様子に、新約聖書の多くの手紙から示される、パウロという使徒の信仰に対する思索の深さを十分に思うことができる。とはいえ、それは神学者の思索ではなく、一人の苦悩する人として、回心して人生経験の底から信仰を語り、告げ知らせる人の思索である。これが彼のことばの力強さの源となって、ミサでの使徒書朗読を通して、絶えず我々の信仰心を奮い起こしてくれることは言うまでもない。
 きょうの第二朗読箇所はローマ書8章26-27節。信徒の皆に、「“霊”は弱いわたしたちを助けてくださいます」(26節)と励ますところであり、パウロによる聖霊についての教えであるが、ただ単に教えにとどまらず、パウロ自身の体験から来るものであることもよく伝わってくる。どれほど「言葉に表せないうめきをもって執り成して」(同)くれることを、パウロ自身が体験していたのだろう。そこから多くのことばが紡ぎ出されてきたに違いない。
 さて、このような“霊”、聖霊の働きについてのパウロのことばは、ミサの聖書朗読の主軸をなす福音朗読箇所と第一朗読箇所とどのように関連づけて考えていくことができるだろうか。
 きょうの福音朗読箇所は、マタイ13章24-43節(=長い場合)、先週の種まきの譬(たと)えの次に来る譬え話集ともいえる部分の後半に当たる。いわゆる「『毒麦』のたとえ」をはじめ、小さな譬え話が続く。毒麦については、それを抜き集めるのではなく、良い種も毒麦も、「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい」 (マタイ13・30)という主人のことばがいわば、神のみ心を表すものとしてこの話の肝になっている。
 長い朗読の場合に読まれる36節~43節には、この毒麦のたとえ話に対する後からの解釈の一例が反映しているようだが、「刈り入れ」が世の終わりの裁きを暗示していることは確かで、それに向かう生き方を説く譬えであることは明らかである。後半の解釈では、裁きの様子に説明の重点が置かれているが、上述の「両方とも育つままにしておきなさい」という教えは、本人たちの自主的な回心をこそ、神は待っているということの印象深く伝えている。
 この点をしっかりと受けとめられるよう、第一朗読では知恵の書の12章13節、および16-19 節が読まれる。19節では、「神に従う人は人間への愛を持つべきことを、……御民に教えられた。こうして御民に希望を抱かせ、罪からの回心をお与えになった」とあり、神が人々に、主体的で自発的な回心こそを求めていることを伝えつつ、回心が神からの恵みであることを暗示している。その根底の事実として、神が正義の源であり(12・16参照)、寛容な方(12・18)、大いなる慈悲をもつ方(12・18)として告白されている。
 このような、福音朗読と第一朗読の旧約の文書との関係から浮かび上がる主題に対して、パウロの手紙はそうはっきりとはつながっていかない。 年間主日の使徒書朗読は、福音と旧約をつなぐテーマに直接は関係せず、数週間、一つの書、例えばローマ書を、年間A年では、原則として年間「第9主日から(年によって数主日は割愛される。今年は年間第11主日から)第20主日まで抜粋朗読される(準継続朗読)という配分だからである。福音と旧約のもつ主題的なつながりは直接には見えてこないが、しかし、それでも、使徒の手紙が信仰の書、イエス・キリストへの信仰をつねに根本的に告げ知らせる書であるかぎり、必ずどこかで、その日の福音と旧約のメッセージにつながってくるはずである。したがって、使徒書を読むことには、(答唱詩編、アレルヤ唱を含め)主日ミサの聖書朗読に対する黙想を一段と深め、広げる役割がある。そして、何よりも、共同祈願など、今の我々の祈りのヒントにもなるのである。
 さて、きょうの使徒書は、「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、”霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」(ローマ8・26)というように、信仰をもって生きる人間の心を聖霊が導いてくれていることを生き生きと語る。福音が告げるように、神のことばの種を蒔かれた人々には、さまざまな誘惑がある。そのなかで実っていく生き方が望ましいが、そうならない場合もある。そのような地上の現実には、聖霊の助けが不可欠であり、実際、聖霊は信仰を導こうとしている。聖霊は人の心を見つめ、「どう祈るべきか」(ローマ8・26)を教えてくれる。そのことを神のみ旨に従えるように執り成す働きと呼んでいる。
 こうして、第一朗読で読まれる神の働き、神の知恵の働きは、今、聖霊の働きとして教えられるものと重なり、融合しくる。ここから、我々の今の信仰生活と典礼参加の意味にも示唆が与えられる。ミサの中で「聖霊」と語られるとき、形式的にも感じられることが多いだろう。しかし、パウロに言わせると、聖霊は我々の心の中で「うめきをもって執り成してくださる方」(同)である。この「うめき」をミサの中で聴くことができているだろうか。そのような問いかけも、感謝の祭儀で祝われる信仰の神秘に自分がどれだけ深くあずかれるかのひとつの目安になっていくはずである。
 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(A年)●典礼暦に沿って』年間第16主日

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