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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長・日本カトリック神学院教授 石井祥裕)
2026年8月15日 聖母マリアの被昇天 (白)
「いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう」(ルカ1・48より)

冠を受けたマリアと幼子イエス
テンプル騎士団のミサ典礼書
バチカン図書館 14世紀

  表紙絵は、冠を受けたマリアと幼子イエスを描くテンプル騎士団のミサ典礼書挿絵である。テンプル騎士団とは、12世紀初めエルサレムで創立され、200 年間全ヨーロッパで活躍した騎士修道会(騎士、司祭、従士の三身分からなる修道会)である。
 この絵のように、玉座に座し、ひざの上に乗る幼子イエスを左手で抱える聖母マリアの姿の基本型は東方教会のイコンにある。そのようなタイプの聖母子像が西欧でもカロリング朝時代(9世紀)から写本画や象牙細工で描かれており、11世紀以降には、この構図におけるマリアが女王の冠をかぶる図が多くなる。これは、西方教会独特のイメージである。その時代から多く作られる聖母賛歌において「天の元后」とか「天の女王」と歌われるマリアの図像表現といえるだろう。14世紀初め頃からは玉座のマリアの女王としての権威を象徴するものとして百合やバラなどの花を右手で掲げる作品例が多くなる。この絵では何かわかりにくいが、マリアの右手の所作は強い印象を放つ。
 幼子イエスの姿も興味深い。真正面に向かって画面のこちら側にいるものたちに神の祝福を与えようとしている姿勢である。すでに主としての威厳に満ちている。マリアは幼子のそのような存在感に対して自分の身を少し曲げて、謙遜の姿勢を取っているようである。ここでは、幼子と母の関係であるが、この中に、イエスの全生涯に対するマリアの根本的な姿勢が示されている。
 そのようなマリアの生涯を、救いの歴史全体の中に位置づけ、黙想し、記念し、祈るのがきょう、聖母マリアの被昇天の祭日である。
 この祭日の意味を黙想する出発点が集会祈願にある。「全能永遠の神よ、あなたは、御ひとり子の母、汚れのないおとめマリアを、からだも魂も、ともに天の栄光に上げられました。信じる民がいつも天の国を求め、聖母とともに永遠の喜びに入ることができますように」――「被昇天」という言葉が「マリアがからだも魂もともに天の栄光に上げられた」ことを端的に示している。
 このような信仰理解をもってするマリア崇敬は、その源流をたどると、ビザンティン帝国の教会をはじめ、東方教会にある。そこでは、7世紀の初めから8月15日にマリアが死の眠りについたことを記念する慣例が生まれ、これがやがてマリアが天に上げられたことを祝う日となる。西方教会でもこれが導入され、7世紀末以来、マリアが死の眠りについたことを記念する祝日(ドルミティオ)となり、8-9世紀には、東方と同様、天に上げられたことを記念する日(アスンプシオ)となる。 
 その後、神学的な議論を経て、16世紀には、マリアは魂だけでなくその体も天に上げられたという信仰理解が一般に認められ、19-20世紀におけるマリア崇敬の新たな隆盛を受けて1950年11月1日、教皇ピウス12世によってこのことが信ずべき事柄として宣言された。肉体と霊魂、魂と体を区別して考える見方に対して、マリアの存在そのものが神によって受け入れられたという、古来の崇敬内容が明確にされたのである。
 この聖母マリアの被昇天ということを、典礼では、徹頭徹尾、救いの歴史における意義において黙想し、祈る。それを示すのが聖書朗読である。その第一、第二朗読ではともに終末における神の国の完成が主題となっている。
 第一朗読箇所(黙示録11・19a、12・1-6、10ab)では、「一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には12の星の冠をかぶっていた」(12・1)という壮大な光景が語られる。12という数がイスラエルの12部族やキリストに派遣される12使徒の数を想起させるところから、この女は旧約・新約を含む「神の民」の姿を象徴していると考えられる。この女が人類の母エバ以来(創世記3・16参照)の宿命で「子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた」(黙示録12・2)ところ、「男の子を産んだ」(同12・5)のであり、その子には「神のメシアの権威」(同12・10)が現れているといわれるように、救い主キリストの到来に至る。そこから新たに全宇宙をも従える神の国の完成に向けて、神の民は導かれていく、という展望が示されるのである。
 第二朗読箇所(一コリント15・20-27a)も神の国の完成に思いをめぐらせ、それを復活の教えに結びつけている。キリストによる支配と、最後に父である神によるその支配(神の国)の完成という二段階的な説明とともに、救いとは、すべての人がキリストによって生かされることと教えられている(22節)。この普遍的な救いに至るために、すでに「キリストに属している人たち」(23節)、すなわちその後の教会でいえば、マリアをはじめ、使徒・聖人たちが次に続く人たちの歩みを支えてくれているということも教えられる。奉献文の取り次ぎの祈りがここに関係してくる。
 このように、第一朗読、第二朗読が終末の完成に向けての約束と希望をテーマとしているとすれば、福音朗読箇所ルカ1章39-56節では、すでに訪れている救いの喜びが前面に出てくる。マリアのエリサベト訪問の場面でのエリサベトの祝福(アヴェ・マリアの祈りの元)と、それに応えるマリアの賛歌(教会の祈りの「マリアの歌」(マニフィカト))が内容となっているからである。その中で、マリアはまさしく、そして最も優れて「祝福された方」「幸いな者」となる。ここに、マリアが全面的に神に受け入れられること、つまり天に上げられるということが含蓄されているのである。
 教会は、マリアが生涯を通してそのような方であったと信じつつ、予告された救いの実現の証言として「アヴェ・マリアの祈り」を唱え、「マリアの歌」を晩の祈りの福音の歌として歌う。そのことが自分たちの身にとっても救いの予告と約束のことばであり、救いの実現のあかしとなるように願うからである。この賛美と希望のメッセージをもって、8月15日――戦争の記憶と平和への願いを新たにするこの日を過ごす意味はとても深い。
 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(A年)●典礼暦に沿って』聖母マリアの被昇天

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