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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長・日本カトリック神学院教授 石井祥裕)
2026年8月23日 年間第21主日 A年 (緑)
わたしはあなたに天の国の鍵を授ける (マタイ16・19)

ペトロに鍵を授けるイエス
アトスのツォグラフ修道院で作られた聖書写本 
ロシア サンクトペトルスブルク 
サルディコフ・シチェドリン図書館 10世紀 

 きょうの福音朗読箇所は、マタイ16章13-20節。新共同訳聖書では「ペトロ、信仰を言い表す」という見出しがついている。並行箇所がマルコ8章27-30節とルカ9・18-21節が並行箇所と記されているので見比べてみると、マルコでは、ペトロが「あなたは、メシアです」(マルコ8・29)と宣言したあと、だれにも話すなという注意で終わる。ルカでは、ペトロの「神からのメシアです」(ルカ9・20)という宣言での後、同じように弟子たちにこのことをだれにも話さないように戒める(同21節)。マタイだけが、きょう読まれる後半の部分(16・17以下)で、独特な教えを加えている。その中の「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上でも解くことは、天上でも解かれる」(16・18-19)とある。なかなか難しい内容が含まれている。
 まず「岩の上に教会を建てる」は、ペトロを土台として「教会」を建てるというイエス自身の意志を告げるものと考えられている。「教会」の原語であるギリシア語の「エクレーシア」は、「呼び出された者たち・呼び集められた者たち」を意味するが、これが福音書に出てくるのはマタイだけであり、しかもこの16章18節と18章17節の2箇所だけなのである。これは意外である。もちろん使徒たちの手紙の中では多く使われ、現在のような教会の意味になる。ただ、果たして、マタイのこの箇所のイエスのことばの中で、「わたしの教会」にどのような意味合いが込められているのか、単に後の時代や今の時代の「教会」のイメージで読み取ってよいのかなかなか難しい。
 たとえば、この「教会」は、「陰府(よみ)の力もこれに対抗できない」(16・18)ものと語られている。陰府、つまり死者が眠りについている場所、死の力に支配されている場所さえも「教会」には、対抗できないと言われているのである。ここでの教会とは、地上に生きる信仰者たちの集まりというだけではないような意味も帯びている。それがイエスの言う「わたしの教会」である。つまり「キリストの」教会は、死の支配よりも強く、死に打ち勝ついのちの世界だということになる。ちょうど、この「ペトロ、信仰を言い表す」の箇所の次に、最初の受難予告、すなわち、受難、死と復活の予告が続くことがこの場合、重要になってくる。
 こうした文脈の展開を踏まえつつ、16章19節を見ると、イエスはペトロに天の国(=神の国)の鍵を授けると言う。鍵の授与は、ここで実際に行為として描写されているわけではない。あくまで、イエス自身の意志・意向の表現である。表紙絵の挿絵も、イエスが鍵を示しているところの描写であり、その限りは、イエスの意志表明のことばに対応する。イエスの思いの具象化である。
 ところで、この鍵との関連で第1朗読箇所には、イザヤ書22章19-23節が選ばれている。宮廷支配者であったシェブナを退け、エルヤキムの宮廷支配権を与えるという主の決意がエルヤキムの「肩に、ダビデの家の鍵を置く」(イザヤ22・22)として表されている。鍵が支配権の象徴であることが重要な、きょうの福音朗読箇所の「鍵」の前例(予型)として、その預言が読まれるのである。ただし、そこでの鍵は「開ける、閉じる」という役割で出てくるが、福音では「つなぐ、解く」となっている。その意味合いをどう考えるかも難しい。
 ここでの「つなぐ、解く」が神の国のための重要な役割を象徴していることは明らかである。しかも、地上での「つなぐ、解く」の遂行は、天上においてもそのとおり行われるという。権能における地上と天上の一致という、この考えは、主の祈りの一節「み心が天に行われるとおり地にも行われますように」を思い起こさせる。そこは、天上において神がなさることが地上をとおしても実現されるよう、そして、そのように信者が神のみ旨に沿って、それにこたえて生き、行動すべきものだということが「つなぐ、解く」への言及に含まれているように感じられる。そのことを意識するとき、きょうの福音朗読箇所は、ペトロの特別な権能を根拠づけているというよりも、その権能と役務も神自身が可能ならしめるものだという、神のいのちに生きる「キリストの教会」の本質を説き明かしているところとして受けとめなくてはならない。これも、神への賛美が根底にあっての教えである。
 そのように見ていくと、きょうの第二朗読箇所であるローマ書11章33-36節が「神の富と知恵と知識のなんと深いことか」(11・33)という神への賛嘆のことばが強く響くことも納得ができる。それは、「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン」(11・36)と、最後には栄唱に集約されていく。この栄唱が、きょうのすべての聖書箇所を、ミサの式文における栄唱と結びつけさせつつ、ミサ全体の黙想に結びつけてくれる。
 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(A年)●典礼暦に沿って』年間第21主日

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