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コラム

「わたしにふさわしい者ではない」

オノレ・カブンディ(淳心会司祭)
 「わたしたちは皆、家族のことを大切に思っています。父母を敬うことは神が命じている大事なことです。しかし、イエスに従うことは、他のどんなに大事な人間関係よりも優先されなければなりません。それはイエスが神であるからでしょう。
 いつの時代でも信仰と家族の関係で悩んでいる信者はいます。家族が自分の受洗、信仰を受け入れてくれないだけではなく、まるで迫害を受けているような大変な思いをされる方もいます。でも神との関係を優先することによって最も大事なことが見えてきます。神に信頼して、自分の家族をその御手に委ねることこそが根本的に大事なことではないでしょうか。
 そして、なによりも神との関係を優先するという決意は、イエスに従う第一歩となります。わたしたちは受洗を通してイエスに従う決意を示していますが、それに伴う条件に関してはどうでしょうか。「自分の十字架を担う」(マタイ10・38参照)決意こそが、わたしたちをイエスにふさわしい者に生まれ変わらせます。もちろん、これは文字通りに「このようにせよ」ということではないのです。
 自分の十字架を担ってイエスに従うことは自己主張を放棄して自分に死ぬことを意味します。それは絶対的な従順への呼びかけです。イエスは生涯、御父への愛と完全な信頼を示されました。ご自分の意志ではなく、すべてにおいて天の御父のご意志を優先しました。使徒パウロが告げるように「キリストは……自分を無にして……十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ2・7-8参照)。
 イエスの弟子になるためにまず自分に死ぬこと、「自分を無にする」ことが求められます。それは死に至るまでのイエスへの献身です。信仰のために屈辱、失望、苦しみ、失敗、不正、排除、迫害または試練の痛みを受け入れるとき、自分の十字架の重さを味わうことができます。大切なのは、試練に遭ってもイエスに従い続けることです。事実、必ずしもこれらすべてが自分に起こるわけではありませんが、もしこのようなことに直面したとき、イエスに従い続けることができるでしょうか。
(『聖書と典礼』2020年06月28日より)

『聖書と典礼』年間第13主日 A年(2020年06月28日)表紙絵解説

聖書が語る天使の実像 ●霊的生活を深めるヒント カブンディ・オノレ 著

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